サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

ライフスタイル全般

アマゾンでプライム会員になるとプライムビデオが、無料で視聴できるのですが、その中の番組に「カリギュラ」というのがあります。

今田耕司さんと東野幸治さんが二人で司会を勤めているのですが、コンセプトは、地上波では企画段階で放送できない内容のものをいろいろと放送し、オブラートで覆われた現代社会に警鐘を鳴らすといったものです。(多少悪ふざけをしている企画のときもありますけれど)

その企画の中に「東野○○を狩る」といったものがあり、鹿や猪などをプロに同行し、捕獲から肉にして食べるまでの一部始終を放送するものがあります。

動物の皮を剥ぎ、内臓を取り出すシーンなどは、ショッキングではあるのですが、スーパーに並ぶ肉は、全てその工程を経ているわけで、それを観ていて思ったのは、今の社会には、真実と体裁とが入り組んでいるということでした。

食料品に限らず、いろんな分野でそんなことが起きているでしょうし、僕がやっている性風俗もまさにそうだと思います。

人類が存続していくためには、子孫を残していかなければいけないのにも関わらず、その行為自体を汚らわしいもの、隠しておくものといった扱いになっていて、それに関連した仕事や働く人たちも社会的に蔑視されています。

東野さんが、肉を食べ、おいしいと口にするたびに、命の尊さを狩りによって実感したからこそ、より味わい深いものとなったのではないかと思います。

そんな姿を観ていて、性についても、表面的なことだけで判断せず、その根底にある大切なものを理解してもらえるよう、これからも活動を続けて行きたいなと思いました。


いただいたメールに障害者の女性が風俗で働く話がありました。

検索してみるとそれに該当する記事を見かけたので、紹介したいと思います。

彼女は、脳性まひの障害を持っているのですが、これまで付き合った男性とはいいセックスを経験することができず、性にたいしても興味を持っていたそうです。

一番の思いは、誰かの世話になる人生ではなく、誰かに必要とされて生きたいということだったようです。

そういった気持ちは、障害者でなくても誰しもが持っているものだと思いますが、彼女の気持ちは、とても強いものだと思います。

一生の仕事として頑張っていきたいということなので、ずっと続けていけるよう応援したいです。


鈴木先生という映画を観ています。

2時間強の映画ですが、30分を超えたところで一旦中断し、この記事を書こうと思いました。

コミカルでシニカルな場面が結構あって、最後まで飽きずに観れる映画だと思います。

「演じている」というタイトルにしたのは、中学の国語の教師である鈴木先生の受け持つクラスが、文化祭で演劇をすることが発端です。

演劇を成功させようとする熱い生徒と、それほどやる気の無い他の生徒との意識のギャップを埋めるために、演劇をすることが有意義であるかもしれないと説明した内容に興味が湧いたからです。

出来の良い生徒、嫌な上司、いろいろな人が役を演じて世の中が成り立っている部分もあるといった内容です。

自分自身も教師を演じることによって、本来の自分との境界が無くなり、成長していくためのひとつの手法になっていると言っています。

妻や母として演じようと努力していても、夫や子供、義理の両親などの周囲からのプレッシャーなどによって、思うような演技が出来ない人も多いと思います。

それを耐えて頑張れば成長につながるなどとは思いませんが、演じているのだと思うことで、少し肩の荷が降ろせるような気がしたのです。

人生という舞台での観客は誰なんでしょう。

たぶんそんなものは存在しません。

あえて言うのであれば、それは自分自身だと思います。

自分という一人の観客を楽しませるのも、悲しませるのも、スカッとした気持ちにさせるのも、暗くて悲しい気持ちにさせるのも、自分の演技次第です。

と、長々と書いてきましたが、僕はどれだけ演技をしないで素のままの自分でいられる状態を維持しようと努力しています。

演技=素

それを実現できれば一番幸せなのかも知れませんね。

昨日の弱音を吐いた記事に対して温かいコメントやメールをたくさんいただきました。本当にありがとうございます。

すごくうれしかったのですが、これからはあまり弱音を吐くべきではないかなとも思いました。でも、また吐くかもしれませんが、その時はお許しを!

先日のかもめ食堂以来、邦画、特にゆっくりと時間が流れるような映画やドラマを観ています。

かもめ食堂は、シリーズではないのですが、他にも似たような作品があり、全部で8作品がありふれた日常を描いています。

俳優やスタッフなどが共通していて、とくにフードコーディネーターはずっと同じ人が担当しています。

パンとスープとネコ日和というドラマも忙しい日常からふと我に返らせてくれました。

そのシリーズではないのですが、昨日、リトル・フォレスト 冬・春という映画を見ました。

生まれ育った田舎に戻り、ひとりで自給自足の生活をする若い女性が主人公です。

夏・秋という作品はまだ観ていませんが、この冬・春という作品は、寒さや雪などを利用して、1年を過ごすための生活の知恵がたくさん紹介されています。

根気と体力のいる生活なので、50歳を超えた僕が今から出来そうもないですが、1日1日をとても大切に過ごしているなと羨望にもにた気持ちで観ていました。

昨日、パスタを作ったのですが、いつもなら何も考えずに柔らかくなるまで炒める玉ねぎを昨日は甘みがいちばん出る熱の通し方などを意識してみました。

あまりじゃあじゃあ炒めないで、そのまま放置して少し焦げ目をつけました。

正解が何かは知らないのですが、以前、ミートソースのミンチを炒めるときは、塊のままほぐさずに焦げ目をつけるという動画を観て、この作戦にしたのです。

いつもの玉ねぎよりも香ばしくて甘みが出たような気がします。

料理だけでなく、洗濯や掃除なども少しこだわってみると、その時間がまったく別のものになるのかも知れません。

毎日、そんなことをする根気があるわけではないので、たまに気が向いたときにこだわってみるのもいいかも知れないと思うようになりました。

競馬や将棋にさいている時間の何割かでもそちらにまわすことが出来れば、さらに充実した時間を送れると確信しています。

年に1・2度、和歌山から出張依頼があります。

和歌山駅からさらに電車を乗り継いだ駅まで行くので、片道2時間ほどの日帰り旅行のような気分です。

天王寺駅から紀州路快速に乗るのですが、座れたことがありません。

この日も一番後ろの車両に乗り込み、車掌室を背中にして小説を読んでいました。

ある日突然死にたくなった男の話です。

本の影響なのかどうか判りませんが、ふと立っている人と座っている人を見ていて、同じ運賃を支払っていても状況に違いがあることが気になりました。

全員が立っているのなら我慢できても自分だけ立っていたりしたら、とても妬ましく感じている人もいるかも知れません。

何かにすごく共通しているなと考えた結果、それは人生そのものだという答えが出ました。

人は、座っている人たちをうらやましく思ったり、自分の境遇を悲観したりしがちです。

立っていれば足腰が鍛えられて健康にいいと思う人は少数です。

たぶん生きていることも同じだと思います。

自分の置かれた境遇に満足するすべを身につけていれば何も問題は無いのですが、自分と違う人たちと比べてしまう癖を知らず知らずのうちに身につけています。

逆も同じことで、座れたからといって優越感に浸ることも不幸の始まりだといえるでしょう。

もうひとつ電車に乗っていて気づいたのは、停車駅で人が乗り降りすることについてです。

それは本当に人生そのもので、駅で降りた人たちは、自分の人生(世界)から消えていった人たちです。

死別や単に離別しただけかも知れませんが、とにかく自分の世界からは消えていっただけで、別の世界(電車)で存在しているはずです。

新しく車両に乗り込んできた人たちは、出産や新しい出会いです。

生きている限り電車は走り続けます。

出会いや別れに一喜一憂することは当然かも知れませんが、自分の状況をこんな風に俯瞰するとそれほど嘆き悲しむことも無くなるような気がします。

いったん降りて行った人も、また乗ってくる可能性がありますし。

電車の話から少し外れますが、夫婦は二人でドライブしているようなものかも知れません。

離婚は夫が降りてしまって、免許を持たない妻が残されてしまったというような状況でしょうか。

まさに人生ゲームの駒と同じですね。

■おまけ■

施術が終わると和歌山駅まで送ってくださるのですが、いつも気になっていたラーメン屋さんがあります。

この日は、そのラーメン屋さんで降ろしてもらうことにしました。

井出商店さんです。
テレビでは、和歌山ラーメンの元祖的なお店という紹介だったと思います。

ラーメンではなく、中華そばです。

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名前だけ知っていて、大きな店を想像していたのですが、とてもこじんまりとした店内でした。

壁に向き合うようにコの次型にカウンターがあり、中心には6人がけぐらいのテーブルがひとつあります。

満席だとぎゅうぎゅうで20人ぐらい入れるかも知れません。

メニューはとてもシンプルで、お約束のビールなどのドリンク類は置いていませんでした。

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目の前には、お寿司とゆで卵が置いてあります。

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紀州名産の早すしというものでした。

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味は、柿の葉ずしや鱒ずしのような感じで、安定したおいしさです。

中華そばが来るまでに食べてしまったので、そばとの相性がいいかどうかはよく判りません。

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特製中華そばを注文。
何が特製なのか判らなかったのですが、ほぼ同時に入店した隣の人の普通中華そばと比べてみるとチャーシューが多いようでした。

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しょうゆ豚骨で、麺は細目です。

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食べ終わる頃に急にお腹の調子が悪くなり、トイレを借りようかと店内を見廻すと、厨房を通って行くような雰囲気だったので、躊躇しました。

和歌山駅まで歩いて行ける距離だと判っていたのですが、駅のトイレまでの所要時間と自分の我慢できる時間を比べるために歩くスピードとお腹に影響する振動などを計算した結果、パンツを汚してしまうという結論になりました。

5度ほど振り返り、トイレを確認するたびに店員さんと目が合い、最後のしなちくを食べると同時に勇気を出してお借りしました。

チャーシューを機械で切っている店員さんの背中に肩が触れるぐらいの通路を通り、靴を脱いで一段上がり、トイレのドアを開けました。

何十年ぶりかで見るボットン便所(汲み取り式トイレ)でした。

コーナーには、幼児用のスリッパが。

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気持ちよく会計を済ませ店をあとにしました。

ごちそうさまでした。

少し歩くと商店街が見えてきました。

軽く飲める店でもやっていないかなと中を通ることに。

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すると大衆演劇の小屋を発見。
すごく場違いな場所にあるような気がして、興味をそそられたのでパチリ。

シャッターを閉める準備をされていた男性が、僕が撮影する間、柱を抱えて待っていてくれました。

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人のいいおじさんで、撮影する僕にありがとうございますと声をかけ、パンフレットまでくださいました。

次の施術予約がいつになるか判りませんが、次回は昼の部を見てから行こうと決めました。

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駅に近い方の入り口は少しだけ豪華になってます。

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21時19分初の紀州路快速です。

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徳川吉宗に関わりがあるみたいですが、詳しいことはわかりません。

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駅のホームにあった立ち食いうどんの店が、今年の1月に閉店になったようでした。

一度しか食べたことが無かったですが、存在しているだけで旅行気分が味わえたので残念です。

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人はまばらでしたが、発車時間が近づくにつれ僕の後ろにも並ぶようになりました。

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電車が近づきますというアナウンスが流れたので、大阪の方向と反対にカメラを構えていたのですが、和歌山駅が終点だということをすっかり忘れていて、気づいたときにはもうホームの中に入ってきていました。

慌てて撮影したら、幽霊のようになりました。

人生は幻のようなものなのでしょう。

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紀州路快速は3列シートなので快適です。

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ねぎ焼きという練り物をおつまみに。

ねぎの味はほとんどなく、紅しょうがの味が利いていて、おいしかったです。

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往復の電車で全部読めました。

エンターテイメントとして楽しめる一冊です。

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