サロゲートパートナー

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その他健康法

「勃たなくてもよし、挿れなくてもよし、イカなくてもよし」

この本の結論は、これです。

著者は大学を卒業後、中医学を学ぶために中国に留学し、房中術と出会いました。

房中術とは、中国の伝統的な性医学なのですが、そこで紹介しているセックスは、気の流れを重視して、深い快感と愛情を味わうと同時に健康を手に入れるためのものであると定義されています。

フロー・セックスのフロー(FLOW)は気の流れを表し、それを重視するセックスのことです。

この本の中で印象に残ったのは、「瀉」(シャ)のセックスと「補」のセックスです。

瀉というのは、溜まっているものを出すという意味で、射精をゴールとするセックスが、シャのセックスといえます。

対して補のセックスは、その行為によって自分に足りないものを補うという意味があります。

よく施術の最中や終わってから、依頼者の女性に疲れませんかとか、イカなくて大丈夫なんですかと心配されるのですが、いつもイク以上の満足感を得ていました。

しかしそれをうまく説明することが出来なかったのですが、たぶんこの本に書かれている補の関係になっていたのだということがわかりました。

残念ながらほとんどの人はシャのセックスしか経験していないはずです。

とくに男性の9割以上は、出すということに執着し、それが終わるとあとはほったらかしなのではないでしょうか。

2歳児がおもちゃで遊んでいるときと同じです。

女性は挿入されることも必要だと思いますが、ただギュッと抱き合ったり、髪を優しくなでられたり、手をつなぐ行為だけでも満足することが出来ます。

準備も出来ていないうちに無理やり挿入されるよりも、優しさを表現するための接触のほうが、満足度が間違いなくあがるはずです。

著者は、鍼灸師で、気孔に詳しいかたなので、セックスの際にどのように気を意識することが大切なのかを説明しているのですが、専門的にならずとも、相手を愛おしいと思う気持ちさえあれば自然に出来ることばかりです。

タクティリスは気に対してはほとんど言及していませんが、その場の空気を読むということも気を意識するということになるような気がします。

セックスに対するたくさんの事例が、Q&A方式で解決されているのも判りやすくてためになりました。

疲れているから今日はダメ!

なんていういい訳は、補のセックスをマスターすることが出来ればどこかに消えてなくなることでしょう。

若さと健康のためにも、フロー・セックスは役立ちそうです。

セックスをこんな風に捉えることが出来れば、もっと気楽に生きられるなと思います。


実を言うとまだ全然読んでいません。

それなのに感想を書くというのは、おかしな話ですが、操体法という言葉を知ってからどういった内容のものなのかを調べるうちにこれは是非紹介させてもらわなければ、ということでいち早く感想を書きます。

正確にいうと本の感想ではなく、操体法の考え方についての紹介です。

操体法を簡単にいうと、無理をしないで自然にし、偏りや歪みがない状態でいることが、一番体にいいということです。

それは僕がいつも言っていることで、僕が生まれる前から世に広めている人がいるにもかかわらず、それほど世間に浸透していないことにビックリしました。

橋本敬三さんという人は、明治三十年に福島で生まれました。

もともと医学博士で、西洋医学と東洋医学を勉強されるうちに操体法をいうものを編み出されたので、考え方は似ていても、僕とは全然次元の違う人です。

話は変わりますが、僕は二ヵ月程前から左の鎖骨が変形して、朝起きると左の手のひらがしびれている状態が続いていました。

ネットなどで調べてみると、脱臼という説が有力で、たぶん無理な腕立て伏せのやり過ぎではないかと思い、ここ二週間ほど、トレーニングを控えていたのですが、一向に治る気配がありませんでした。

肩に違和感があるので、どうしても痛みのあるほうに無理に動かしたりしていたのですが、操体法の考え方は逆で、痛くない状態をキープする必要があるというのがわかり、それからは極力楽な姿勢をとるように意識しました。

それから一週間ほど経過したのですが、手のひらの痺れがおこらなくなり、鎖骨の変形度合いも少しましになってきたようです。

かゆみがあるとどうしてもその箇所を掻いてしまいがちですが、そうすると間違いなく治るのが遅くなります。

動物などを見ていると、余計な動きをすることはほぼ無いですし、傷を負えば、とにかくじっとしているところをみると、操体法の理論は理にかなっていると思うのです。

性感マッサージに直接操体法を取り入れることはほとんど無いと思いますが、体の動かし方についての基本理念は、精神や心のありかた、生きる上での考え方などにも活用できるような気がします。

最後にこの本の「まえがきにかえて」をご紹介します。

まず一番先に頭に入れておいていただきたいことは、大自然の原理として人間は誰でも健康で幸福に一生を送れるように、チャンと設計されているのだ、ということです。

もしそうでなかったら、病気になったら治る見込みはないわけです。

治るということは元に戻ることです。設計通りの元の体に戻ればいい。操体とは体をうまく動かして元のようにすることです。体操とは意味が違います。

現代では健康保険の制度のために、誰でも手軽に医者にかかれます。でも、医者にかからなくとも重病でないかぎり、放っておいてもたいていの病気はいつのまにかよくなることが案外多いのです。

このわけはわからない。医者にかかりさえすれば、どんな病気もみなよくなるかというと、どうしてどうしてそんなわけにはゆかないことは、皆さんすでにご存知のことです。

医者もどうしたら人間が健康になれるかという理論はまだつかめないでいるのです。

レントゲンをとるとか電気で心臓の波をみるとか、脳波といって大脳の活動を電気で計るとか、たいへん理化学的な診察法が進みました。

それでもたりなくて、尿とか血液とか体の中の液体を、それも子宮の中の胎児を包んでいる袋の中の水までとって調べるほどに、精密化学検査が進んできました。

いろいろな検査結果を総合して考えて、診断をつける情報とします。そして肝臓がわるい、腎臓がわるいなどと診断してくれます。

医者にそういわれると、私は心臓病だ、糖尿病だなどと納得して、医者の治療にまかせることになりますが、さて思ったようにスイスイとよくなっていますか。

近ごろは、腰が痛い、肩がこる、頭が重い、体がだるいという人がふえてきました。

しかし、こんな症状で医者にかかっても、医者はいろいろな診断技術の粋をつくしてしらべますが、なかなか診断のつかないばあいが多いのです。

病名もハッキリしないが、治し方はなおさらだめというのが現状です。

世界中の学者が”不定な愁訴”に対してスクラムを組んでとりくんでいますが、なかなかわかりません。

とうとう昭和四十五年の「日本医師会雑誌」の元旦号に、次のように発表しました。

学会では手をやいているが、第一線の開業医諸君は、日ごろの本当の病人でない、不定な愁訴(肩がこるとか、だるいとか)の多い半病人みたいな患者を取扱っているのだから、学問的には筋道がたたないとしても、なんとかうまく治す方法で骨折ってみる甲斐があるはずだと。

まあ正直のところお手上げの悲鳴をあげたわけです。

私は医者になったときからさんざんこのことで苦しめられて、もう五十年もたってしまいましたが、何とかやっとわけがわかり、また、治し方も見当がつきました。

そのことをこれから説明し、皆さんのご協力を得て、自分の体を自分で治し、またわるくしない方法を展開したいと思います。

昭和五十二年四月 橋本敬三

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