サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

つぶやき

今日の記事は、ちょうど6年前にこのヤフーブログで書いたものです。(正確には、2013年の2月27日なので、1日ずれていますけれど)

今年から僕には珍しく、毎日のように更新しているのですが、思った以上に訪問してくださるかたが少ないので、昔の記事を読み返してみようと思い、最初に読んだのが、ちょうどこの記事だったのです。

自分が書いたのに、今よりもずっと文章もなめらかで、内容があるように感じました。

たぶん訪問者数が伸びないのは、記事のクオリティが低いだけなんだと理解しました。

言ってる内容は、それほど変わってないと思うんですけどね。

よかったら読んでみてください。


記事のタイトル
「暗闇から手をのばせ」

いつもブログを読んでいただいている方からメールをいただきました。

第23回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリをとった映画を紹介してくださる内容です。

「暗闇から手をのばせ」は障がい者専門のデリヘル嬢の話のようです。

性感マッサージをやりはじめたころに「性」について考えていくと障がい者と性にたどりつき、本を読んだりいろんな方に話を聞こうと行動を起こしていたことがありました。

最終的には障がい者だからどうとか考えることにあまり意味がないなと思うようになり、人としての本質的なことに関心が移行したのです。

障害に限らず女性だからどうとか風俗だからどうとかいうのも本質的なことを見間違えるだけなのかなと。

だからいろんな方からの相談を受けてもその環境におかれたことで悩むこと自体も同じであると結論付けています。

外的な要因に悩むよりも本来の自分の可能性に集中して欲しいのです。

映画の紹介メールをいただいた時にたまたま「最強のふたり」というフランス映画を観ていました。

窃盗などを繰り返す黒人が頚椎損傷で首から上しか動かないお金持ちのヘルパーをする話です。

彼はその障がい者に対して哀れみや同情など一切持ちません。

単に人として接するだけなんです。

とてもいい映画でした。

それと偶然にもFC2ブログへ相互リンクのお願いコメントが入ったのですが、そのサイトを覗いてみるとちょうど「暗闇から手をのばせ」の予告編の動画が張り付けられていました。

たぶん僕に対して本当の僕が、もう一度考えを確認しろとメッセージを届けているのだと思います。

この世の中では障害の有る無しとか生まれた環境とか容姿とか結婚・仕事・病気・災害・事件・事故などいろんな出来事によって自らを考える機会を与えられます。

その時に足りないものを補う考え方をしていると時間ばかりが経過していき、焦燥感が襲ってくるような気がします。外的要因をいくら改善しようとしてもそこにはゴールがないからです。

それよりも今あるものをどうしていくかということに目を向けたほうが、充実感を味わえると思ってます。

「暗闇から手をのばせ」は3月から東京で上映されるそうで、具体的な内容についてはまったく知りませんが、障がい者と一口にいってもいろんな考え方の人がいるのです。

生きることを楽しみデリヘル嬢と非日常を満喫できる心に余裕のある人もいるはずです。

なにがいいたいのかがちょっとボケで来ましたが、結局は全て自分が選択して自分の幸せや不幸せを決めているのだということを理解して欲しいということです。

最後は乙武さんのような障害をもつオーストラリア人のスピーチを紹介したいと思います。



※文中に「障害」や「障がい」と統一されていませんが、文字変換のままにしています。「障碍」という書き方もありますが、そこにこだわること自体がなにか違うなと感覚的にそう思っているからです。

昨日の記事を受けて、Mr.Childrenが好きなリピーターさんから、名もなき詩を紹介されました。

彼女は、その曲の中で「愛はきっと奪うでも、与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの」という部分が好きだとのことでした。

僕が言いたいことを、簡単に説明していて、やっぱりアーティストってすごいなと思いました。

そこにあるのに気づかない人も多いかも知れません。

そこにあるだけじゃ満足できない人もいるのかな。

幸せを感じることも同じで、結局は自分がそれを実感するかしないかで、大きく変わるような気がします。

歌を紹介してくださった彼女は、私は愛されたいし、愛を感じたいと言われていましたけれど、それは欲ではなく、感性に近いのかも知れません。

自分が感じることが出来れば、そこにある愛で十分満足できるのですから。

キンキキッズの歌に「愛されるより愛したい」というのがありました。

昨日、ふとそれが頭に浮かび、改めて歌詞を見てみたのですが、かなり抽象的な表現でよく理解できませんでした。

愛されたい、愛されていることを実感したいと思う女性は、少なく無いと思います。

日本人男性は、とくにそれを表現することが得意ではなく、照れもあるのか、わざわざ口に出す必要も無いだろうと思ってしまいます。

時代劇などを観てると、お侍さんの夫婦関係で、夫が妻に対して愛していると口に出すことはありませんが、さりげない気遣いや普段からの立ち振る舞いなどから、妻を守り抜くという態度が感じられます。

妻からするとそれが愛されていると実感するのかも知れません。

もしかすると愛されているという概念はなく、夫婦のあり方として納得できるものだから、問題がなかったような気もします。

このブログで良く言ってますが、悩みのほとんどが自分の欲から起きるので、その欲を捨てると悩みも消えることが多いはずです。

愛されたい、愛されていることを実感したいというのも、欲になります。

相手が存在しているということだけで、幸せだと感じることが出来れば、愛するとか愛されるとかで悩むことがなくなります。

自分にとって愛されていないかも知れないと、もし悩まれているのだったら、パートナーがいなくなった時のことを考えてみてはどうでしょうか。

ただ、どうしようもない最低な男なのに、捨てきれないでいるのは、本末転倒になりますので、ご注意ください。

愛されるより愛したい

”どうだっていいじゃんそんなこと なんだっていいじゃんそんなこと”

幸せな時間を自分の欲の為に自ら放棄するのだけは、もったいないと思いますよ。

男女が付き合っていく中で、セックスというのは、フルコースでいうとどこに位置するんだろうっていう話になりました。

彼女は、メイン料理のひとつかふたつぐらい前かなと言われたんですが、僕は、食前酒かもと応えました。

無ければ無いで構わないという気持ちがどこかにあるのかも知れません。

その意見を聞き、テイスティングかもという話になり、ワインを決めたところで、その後の料理が決まってくるようなものかも知れないということになりました。

お酒を飲まれない方には、少し違うかも知れませんね。

そもそもこんな話になったのは、既婚者である彼女は、彼氏はいらないけれど、お互いのタイミングのいい時だけ会えて、セックスを楽しめるパートナーがいればいいなということを言っていて、それならセックスフレンドみたいな人を探せばいいんじゃないですかとの問いに、セックスだけでは駄目ということが原因でした。

セックスもあるけれど、それ以外の要素も大切で、会話も食事も、他のデートや仕事のアドバイスなど、トータルで満足できる相手が欲しいということでした。

それがフルコースとなり、セックスは、何番目に出てくるのかなという話となりました。

パートナーが欲しいという女性に対しては、出会いをつかむ為に行動を起こすべきだとアドバイスをさせていただくのですが、その中のひとつに出会い系サイトやアプリを利用することも提案しています。

ただ、そこで出会う男性のほとんどが、セックスだけを目的としているため、フルコースを味わわせてもらえることは、ほとんど無いかも知れません。

奇跡的に相性が合って、互いに相手を尊重できる関係になる可能性が、ゼロでは無いと信じたいですが。

またフルコースになるまでに、最初は、立ち食いそばぐらいから始まって、二人の関係が深まっていくことで、どんどん料理がグレードアップしていくことも考えられます。

それは二人で作り上げていくものなのかも知れませんね。

2月9日の記事「いじりといじめ」にキングコングの梶原さんが、カジサックという名前でyoutube動画を配信していて、その中である方ともめたことによって、炎上したという内容のことを話しました。

毎週キングコングというチャンネルがyoutubeにあり、それはキングコングの二人が、ただ喋るだけの動画なのですが、今日は、カジサックの炎上話について語られていて、とても興味深い内容だったので、ご紹介したいと思います。

カジサックは、youtube上のキャラクターとして確立されているため、毎週キングコングの梶原さんとは、まったく違うものになっていて、素の梶原さんが言えても、カジサックとしては、発信できないことも多いようです。

僕が発信しているこのブログにしても、FC2の施術日記にしても、世間に対しての影響力は無いに等しいですが、知らず知らずのうちに前田貴久というキャラクターを作り上げているのかなぁとふと考えてしまいました。

ここ最近の自分で書いた記事を読み返すと余計にそう思ってしまいます。

心にも無いことを言っている訳ではなく、それも自分であることは間違いないのですが、女性が、妻や母や嫁などを使い分けるのと似ているのかも知れません。

懇意にされているリピーターさんからは、前田節とか前田教の教祖とか言われることもありますけど、それはそれで有りかなとも思います。

これからの前田貴久がどうなっていくのか。

それはたぶん皆さんよりも、僕自身が楽しみにしているのかも知れません。

こうなりたいよりも、気づいたらこうなってしまっていたというのが、前田貴久だったので、5年後も楽しみにしています。

毎週キングコングの動画


こちらの記事は、とてもいい内容なので、ぜひ読んでみてください。





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