サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

本や映画の紹介

天才物理学者で世界中の人に知られているアインシュタインの半生を描いたドラマを観ています。

第1話では、いきなり大学教授であるアインシュタインとその秘書とが、研究室のような場所でセックスしているシーンから始まりました。

AVでいうところの駅弁スタイルで。

アインシュタインはセックスしながら、その若い女性秘書に一緒に暮らさないか提案するのです。

アインシュタインは、既婚者で、妻と別れる気持ちなど無いことを知っている秘書は、その提案には耳を貸さないのですが、アインシュタインの持論が面白かったので、翻訳された言葉をそのままご紹介します。

「神は反対するだろうが、私が説得する」
「一緒に住もう ベティ」

ベティ(以下べ) 「奥さんは?」
アインシュタイン(以下ア)「愛しているさ」
べ 「いかれてる」
ア 「いや かなりまともだよ」
ア 「一夫一婦制こそおかしい」
ア 「宗教的権威が決めた概念だ」
ア 「権威を妄信するのは、真実の最大の敵さ」
べ 「一体 どんな真実なの?」
ア 「私はモーツァルトもバッハも山も海も大好きだ」
ア 「エルザ(奥さん)も君も愛せるさ」
べ 「宇宙の専門家でも人については無知なのね」

といって、呆れられてしまいました。

その後、許してくれといい、恐らく三角関係というのは、私が望むほど単純じゃないという言葉で終わっています。

この二人の会話を読んで、思うことは人によっていろいろ違うことでしょう。

僕が一番心に響いたのが、権威を妄信するのは、真実の最大の敵さという言葉でした。

現代では、いい恋愛をするということが、生きるうえでとても大切だと考えられる風潮ですが、そもそも恋愛して結婚するという文化は、それほど長くなく開国後に西洋文化が入った明治・大正の一時期と第二次大戦後からだという説もあり、80年ほどしかありません。

それまでは、家長が決める見合い結婚がほとんどだったでしょうし、現在でもお見合い制度は、あります。

僕の勝手な印象ですが、恋愛結婚よりもお見合いで結婚されたカップルのほうが、結婚生活がうまくいっているような気がするのです。

実際、離婚率を調べたら見合い結婚のほうが低いのでは無いかと思います。

恋愛することが悪いと言っているのではなく、それが正解だと妄信するのは、自分を窮屈にしてしまうだろうし、もっと自由な発想があってもいいのではないでしょうか。

人それぞれ、考え方が違いますし、自分の考えを貫くことも大切ですが、それを人に強要したり、勧めるのは違うような気がします。

こういった選択肢もあるという提案をして、最終的な判断は、本人に仰ぐことが大切だと思います。

ヴェンジェンスという映画を観ました。

レイプに遭った女性と知り合いの警察官が、無罪になったレイプ犯に法以外の裁きを受けさせるという内容です。

レイプ犯の一人を正当防衛という形で射殺したため、警察の内部調査があり、その中で、宿命という言葉を使っていました。

レイプに遭った女性とは、その夜にたまたまバーで少しだけ一緒に飲んだだけの関係だったのですが、そんな彼女や家族のために殺人までしてしまうのは、宿命以外の何物でもないなと思います。

彼は、調査員に宿命だと思うといったあとに、むしろ使命かもしれないと言っていました。

もちろん調査員には、レイプ犯であるということなど知らなくて、単に正当防衛で、警察官としての職務をまっとうする使命があるとごまかしていましたけれど。

僕は、施術予約で、初めてお会いするといつも不思議な気持ちになります。

それはやはり縁を感じるのです。

たった一度きりしか逢わない人であっても、彼女の人生のほんの一瞬でも僕が登場したことが、とても不思議なのです。

僕の場合は、施術を受けに来られたかたにしか、影響を与えることが出来ませんが、それでも彼女たちの人生に少しでもプラスになれればと思っています。

これは宿命だと思います。

と、だいそれたことは言えませんが、僕に与えられた使命なのかなと自信をもって言えるようになれればいいなと思います。

最近、テレビ朝日のディレクターが、タレントとともに世界を回っているyoutube動画にはまっています。

世界といっても、先進国ではなく、まだ外国人を見たことが無いような部族が住む村を旅しているのです。

これまでもそういった部族にタレントが訪問して現地の生活を体験するといった番組はありましたが、この番組で同行している友ディレクターのカットは、メインのタレントが映っている場面よりも数倍面白くて、現地の人たちの素の顔がよく判るのです。

今日、このブログで紹介しようと思ったのには理由があります。

それはある部族の子供たちの前でギターのシーンがあり、ナスD(友寄ディレクター)が、歌を歌うのですが、事前にギターを弾いてもいいかと現地の人に確認したという話があったからです。

まったく知らないものを見たり聴いたりすると、旅人が立ち去ったあとにそれだけが残ってしまうことは、あまりよくないということのようでした。

その村では、以前から近くの村の人がギターを弾くことがあるということを聞いていたために、歌を披露したみたいです。

文明の栄えている国の人とそうでない人との違いはあれど、ナスDの言動は、とても普通に人として相手を尊重し、現地の人と溶け込む能力がすごく高いのです。

これは国と国とだけではなく、同じ日本人同士でも同じことが言えます。

ついつい知識があるとそれをひけらかして上から目線で物事を言う人がいますが、何を基準にそれだけ偉そうになれるのだろうと思ってしまいます。

ひとつの価値観に捉われ、自分が正しくてそうでない人は、間違っていると決め込んでしまうことほど、見えない檻の中に捉われているのでは無いでしょうか。

何かを目指し、勉強してもし行き詰っているのであれば是非この動画を観ていったんリセットしてみてください。

こんな人間がこの世に存在するんだという感動さえ覚えるはずですから。



昨日に続いて、映画の紹介です。

というよりも、昨日の映画「サード・パーソン」が、僕のつぼにはまったために、その監督と脚本を担当した、ポール・ハギスという人にとても興味を持ち、別の映画を観ました。

「クラッシュ」という映画なのですが、人種差別が激しい時代のロスアンゼルスの数日間を切り取った内容です。

二本しか観ていないので何とも言えませんが、彼はとても人間を観察し、ひとりひとりの心の葛藤を描くことがとてもうまい人だなと感じました。

この映画も、とくに胸のすくようなエンディングが待っている訳では無いですが、問題が山積みの中でも、ホッとする瞬間があり、それによって観ている僕たちの心が温まる時があります。

人生に正解も間違いもありません。

一生懸命生きればなんとかなるというものでも無いはずです。

辛いことがあれば、楽しい時もあり、生まれて死ぬまで、たぶんそれの繰り返しなのでしょう。

当たり前のことなのに、あらためてそう思うきっかけをくれた映画監督でした。

観終わった印象は、とても上質な映画だったなということでした。

ハリウッド映画のようなわかり易い結末ではなく、観る人によって様々な思いがこみ上げる作品となっています。

ウィキペディアを見てみると、3組の男女が愛を求めてもがく姿を描いた群像劇という説明がついているのですが、僕の印象は、男女の愛を求めているというよりも、ひとりひとりが、今を精一杯生きようとしている姿を描いているように感じました。

この映画で鍵となっているのは、子供です。

親と子の関係性が、男女の愛にも絡んできて、単純な恋愛よりもより深く感じるものがありました。

話が少しそれるのですが、互いに素性がわからなくて、信頼もまだ出来ていない完成の男女が同じベッドで眠るシーンがあります。

同じ方向に頭を置かず、最初は互い違いに寝ているのですが、男性のほうが女性の足を触るところからセックスへと発展するシーンは、変なアダルトビデオを観るよりも30倍ぐらいエロティックで、興奮しました。

他にもいろんなシーンで、ドキッとする場面と遭遇できる映画なので、是非鑑賞してみてください。

↑このページのトップヘ