以前、施術させていただいてその後寄せられたメールに自分が渇いていたと気付いたということが書かれていました。
彼女は結婚して10年以上経ってもご主人と普通にセックスができているということで、依頼された理由は単なる好奇心だということでした。
お話をしていても充実した生活を送られているんだろうなという感じでご主人は彼女の日常のたわいもない話をうまく聞いてくれているようです。
僕の場合は昔から自分の奥さんが話をしてきても常に第3者的な立場をとってまともに考え正論を返していました。
妻は夫から正論を言ってもらいたくて話しているわけじゃないとわかったのは、ずいぶん関係が冷え切ったあたりからです。
聞いてもらったり、共感してもらったり、一緒になって怒ってもらったり、褒めてもらったりしたいだけなのにね。
ちょっと脱線してしまいました。
マッサージを終え、性感に入ると終始くすぐったいということで、なかなかいつものペースにならなかったのですが、フェザータッチをやめて恋人と接するかのように体全体で愛情を注ぐつもりで接し、少し休んで会話をしたりを繰り返していくうちにだんだんと心を解放してくれたようです。
正確には解放ではなく「開放」なのかもしれません。
擬似的なものであっても彼女の心の器の蓋が開かれたところへ僕の愛情が注ぎ込まれたと考えるのがいいのではと思いました。
愛情を注ぐ
何の気なしに使っていますが、愛情って液体のようなものなのかもしれません。
心が壊れて割れてしまうといくら注いでも溜まることはないはずです。
夫婦関係にヒビが入るとよく言いますが、関係にヒビが入ったのではなく、どちらかの心の器にヒビがはいったのかもしれません。
彼女からの
「私って渇いてたのね」って思いました(涙)
というメールでひとつ発見できました。
僕が性感マッサージ師になったきっかけについて記事を投稿しています。
よければご覧ください。>>性感マッサージをするようになったきっかけとは