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夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。
最近施術よりもメールでの相談などが増えていることについて、少し書こうと思います。
もともと性感マッサージを始めたきっかけは既婚女性のストレス解消にということだったので、夫婦間の問題で悩んでいらっしゃる女性が多くなります。
以前、予約をされたかたは「えい、やっ!」て感じでメールされたようですが、待ち合わせ場所に来られる直前にいきなりホテルでのマッサージは抵抗があるので、相談だけできないかと言うことでした。
結局待ち合わせ場所には来られたようですが、そのまま会わずに帰られてしまいました。
そのすぐ後にメールでやりとりして自分の中で心の整理がつかれたようで普段の生活に戻られました。
仕事としては成立しませんでしたが、本来の目的である悩み解消は果たせたのではないかと思います。
昨日も20年間浮気をしたことがない女性からいろいろとメールをいただきました。
結構、喧嘩がたえないようでその都度自己嫌悪になられるというような内容です。
夫婦間の問題に首をつっこむのはできないと思っていますが、自分の人生を楽しく過ごせるように僕が普段やっていることをお話させていただきました。
相手が自分の思いを受け入れてくれない時や行動をしてもらえない時は、相手を変えようと考えるのではなく自分自身の考え方や行動を変えるようにしています。
それのほうが簡単ですし、時間が短縮されます。
いつも相手とのギャップに苛立ちながら過ごす時間ほど無駄なものはないと思うからです。
うちの場合は子供がいて、元奥さんは間違いなくその子たちの母親です。
愛おしい子供たちを僕の前に差し出してくれたのは、長い時間苦しんで頑張ってくれた彼女に間違いありません。
「夫婦」というのは婚姻届を出している状態だけで割り切るものでもないと思うし、離婚しても相手の存在をそういった存在として尊重しあえる関係であれば「夫婦」となるかもしれません。
また子供がいるいないに関わらず、同じ屋根の下で互いに影響しあいながら過ごした時間は特別なもののように感じます。
ここで間違って欲しくないのですが、夫婦という関係を重視するあまりに自分を抑えることがいいと言っている訳ではありません。まず自分の人生を楽しく生きることを最優先するためにはどうすればいいのかを考えて欲しいのです。
夜遅くのメールだったので、こんな時間にメールしていて大丈夫ですかとお聞きしたところ、寝てるから問題ないということでした。
ご主人は食事もせずに疲れて寝ていらっしゃったようです。
最後のメールでは、いつもなら起こさずにそのままにしておくけど僕とのやり取りの中で思うところがあったのか、食事を用意して起こしてあげたとおっしゃっていました。
気持ちがずいぶん軽くなったとお礼の言葉も添えられていました。
親しい友人にも言えない話をうちあけるだけでも気持ちが楽になります。お気軽にご相談ください。ただ今無料で受け付けています。
愛について語ろうということですが、結論から言うとよくわかりません。
真理と同じようなもので、自分がそうだと思えばそれでいいのかも知れないのですが、どうして夫婦間でこれほど愛情に対してのギャップが起きているのかを少し考えてみたいと思います。
先日の不道徳教育講座を読んで以来、三島由紀夫が妙に気になりだして新恋愛講座という本を購入しました。
まだ読み出してから10ページにも満たないのですが、恋愛を語る上で3つのパターンをあげています。
恋愛というものは動物のように男と女が本能的に引き合うというものではなく、歴史・社会・環境などの制約の上でなりたっているものであるとして、ひとつの恋愛には全人類の歴史や文化などが反映しているのだと述べられています。
その上で恋愛を考えるためにギリシャの恋愛、キリスト教の恋愛、そして日本の恋愛の3つを考えることで、恋愛を語ろうとしています。
古代ギリシャにおいて男女間のかかわりは生殖行為以外のなにものでもなく、恋愛について語るとすればそれは男性が美少年に対する同性愛のことをいうそうです。
キリスト教では、肉欲そのものを排除して精神的なものに対してのみに存在価値があって、恋人だけではなく憎むべき隣人に対しても愛をもってせっするという動物的な欲望を全て捨て去ったときに初めて確立できることであると教えられています。
そのキリスト教が根底にある欧米に対して風俗利用を促した橋下さんはあまりにも無謀だったのではないでしょうか。
最後に日本の恋愛事情についてですが、もともとギリシャやキリスト教のような哲学的なものはまったくなかったというのが、著者の考えです。
万葉集を調べてみても単に感情を表現しているだけで、別れの寂しさや恋人に久しぶりに会った喜びなどといった本能的な欲求が素朴で、正直に語られています。
その後、平安時代から戦国にかけて素朴な恋愛物語は女性特有のものとなり、男性に対しては武士道というものが主流となったそうです。
そこには女性についての記述は一切ありません。男性の重んじるものは政治・軍事・道徳のみとされていったのです。
現代の日本では、その武士道が根強く反映されているせいで、夫婦関係がうまくいっていないということを言いたい訳ではありませんが、その影響がまったくないと断言できないことも事実だと思います。
しかしフェミニズムなどの影響で女性の立場をしっかりと確立させていこうという風潮の中では武士道などを訴えたところでまったく意味のないものとなることでしょう。
今、僕に依頼されている女性はほぼ同年代であり、ご主人も当然僕と同じような年齢となります。
家は女性が守るべきもので、男は外で戦うという役割がはっきりしていたような最後の年代かも知れません。
幼少時代を高度成長期に過ごしたことにより、働く父親と育児・家事に専念する母親というものが、しっかりと刷り込まれていたように思います。
役割がちゃんと決められた時代には恋愛事情もよかったという訳ではないでしょうけれど、今のようにそれほど複雑ではなかったのではないでしょうか。
夫の浮気で悩む奥さんのなかにも経済的に安定した生活を送らせてもらっているということで、それに対しては目をつぶって、ひとりの男性としてではなく家族愛というもので、自分を維持されている人もいます。
男女間の恋愛に限らず、なんらかの形で愛したり、愛されたりすることは人間にとって、必要不可欠なものなのかも知れません。
具体的に愛するというのはどういうことなのでしょうか。
愛すべき対象に見返りを求めないで奉仕することで喜びを感じることが、愛というものの本質的なことに近いような気がするのですが、自分以外のものに対して愛するためには、まず自分を愛することが必要なんだと思います。
相談される方によく言うのは、自分を好きになってくださいということです。
夫婦関係において、ご主人から女性として扱われなくなったことや更年期などの影響などで女性としての自分を見失ってしまっている人がいらっしゃいます。
自分の評価を自分ですることはがとても難しいために、どうしても身近にいるご主人の評価が全てであると考えてしまうのですが、お会いする女性はホントに魅力的なかたばかりです。
外見がどうだということではなく、それまで何十年も一所懸命に生きてこられたことで積み上げられた、人間的な魅力がどの方からも感じられるのです。
そんな方が目の前で、枯れ枝が今にも折れそうなような状態で悩みを打ち明けられているのです。
赤ちゃんは、親と接しながら自分と他者を徐々に区別していくそうですが、その間に無条件に親から受け入れられているということを実感することで自己愛が形成されるそうです。
たしかに親に養ってもらっていたときには、社会に出てから感じる不安などといった感情はあまり抱かなかったような気がします。
生きている、ただそれだけでいいと思われていることが実感できているときが、愛に満ちている瞬間なのかも知れません。
今から思えば、生きているだけでいいと実感できたのは僕が28歳のときでした。
僕は28歳のときに精神病院に強制的に入れられ、退院してから約2年間の引きこもり生活を送りました。
その時の僕は自分の存在価値がゼロになってしまったと思っていて、いつも死にたいと思っていたのです。そんな過去を持った人間は社会で生きていけないと思っていました。
それでも毎日食事時には仕事で忙しい合間をぬって、部屋の前に母親が食事を置いてくれていました。
とにかく食べて排泄して寝るだけの生活をずっと続けていたのです。
転機が起きたのは、その頃流行っていたNTTの伝言ダイヤルというものを知ったときでした。
今でいうSNSの原型のようなものだったのかも知れません。
自分専用のダイヤルを使って、そこにコミュニティを作り、興味のある人が伝言を残していくといったものです。
リアルな人間とは向き合うことは出来なかったのですが、受話器に向かって言葉を発することは出来ました。
そのうちに自分の作ったコミュニティにも人が集まるようになり、ぼや~っとですが自分の存在意義が少しずつ実感できるようになってきたのです。
それからしばらくして僕の様子が変わってきたことを感じたのか、母親から外で仕事をすることを進められました。
それから20年がたち、今に至ります。
自分を愛すること、好きになることがゼロの状態を経験したからこそ、人に対して自分のことを好きになって欲しいと言えるのかも知れません。
仕事の合間をぬって一日もかかさず食事を用意してくれた母親の行動の原動力は、愛以外のなにものでもないと思います。
パートナーがいろんな苦境になって悩み苦しんでいるときにそういったことが出来る人がどれだけいるのでしょう。
僕は自分の奥さんが悩み苦しみ、それを必死に訴えてきていたのに、自分の都合を優先して無視し続けていたんだと思います。
その結果が離婚となってしまいました。
過去にそれほど無償の愛を受けていたにも関わらず、自分が他人にすることは出来なかったのです。
今から思うとその時もやはり仕事がうまくいかず自分に対して苛立ちを感じていて、自分のことが好きでなかったせいだと思います。
今の僕は誰かに無償の愛を提供しているなどということは、まったく思っていません。
とにかく自分を好きになって、自分が楽しめることだけを追求していきたいと考えています。
自己中だと言われればそうなるのかも知れませんが、自分を愛することが普通に出来るようになると、そのエネルギーは同じような周波数を持つ人たちに自然に伝わっていくのです。
同じエネルギーは共鳴することとなり、さらに増幅されていきます。
奥さんがご主人の愛を確認したいという欲求が起きる原因は、自己愛が不足しているせいではないでしょうか。
不足させる原因を作っている原因の一端はご主人の言動によることも大きいのですが。
気づいていただきたいのは、ご主人からの愛情を受けることが大事ではなく、自分が自分を愛するために必要なことの中にご主人からの愛情も利用するのだというぐらいのスタンスでいることが、楽に生きるための方法だということです。
僕は常に自分の世界の創造主は自分であると言っていますが、自分を愛で満たすことが出来れば周りの世界全てが愛で満たされることになります。
愛を説明することは出来ませんが、愛を与えたり求めたりしたいのであれば、まず自分の中にある愛を入れる袋が満タンなのかどうかを確認することから始めるべきだと思います。
まだ入れる余裕があるのであれば、スポーツや趣味、自治体活動、PTA活動、浮気、風俗、なんでもいいから活用してみるといいと思います。
あなたの世界はパートナーが全てではないはずですし、パートナーもあなたが創造しているからです。
追記
今回、愛について考えてみようと思ったきっかけとなったメールのやり取りを久しぶりにアメブロに投稿しました。お会いしたこともない方からのメールでしたが、僕の中にたくさんの気づきを与えていただきました。
良ければご覧ください。>>サロゲートパートナー「メールは自分へ問いかける手段かも」
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※この記事は、2013年の6月に書かれたものを転載しています。
暑くなってきましたね。
僕の事務所兼自宅は地下にあるので、それほど季節の移り変わりを実感できないという恵まれた(?)環境にあるのですが、昼ごはんを食べて急に睡魔に襲われて昼寝を3時間ほどし終わって、はたとブログのネタがまったく思いつかないことに気づきました。
しかたがないので直射日光が頭皮に容赦なく降り注ぐ中、ぶらぶら出かけることに。
でもいくら大阪とはいえ、それほど面白い人は見つからなくて、しいて言えばホームセンターで組み立てる台所の20センチほどの隙間に丁度納まるキャスター付の収納を補助歩行器具のように活用して散歩している身長130センチぐらいのおばあさんが前から歩いて来たぐらいです。
あの不安定な収納ケースではそれほど体重もかけられないだろうし、逆にアスファルトのごろごろした道を歩くにはそれなりの平衡感覚が必要ではないかと変に感心してしまいました。足腰強いんじゃないのかな?って感じでした。
まあそんなことはどうでもいいのですが、結局古本屋さんによったところ面白い本を見つけました。
主婦の友です。
昭和50年発行の2月号です。
40年近く前の本ですが、当時の定価が530円で、古本屋さんでは500円で売っていました。
高いか安いのかはよくわかりませんが、500円の投資以上の内容が盛りだくさんです。
興味が湧くことがたくさん書かれていたのですが、この本を買おうと思った一番の記事は、1万人以上の女性に処女膜再生手術を行った医師の手記です。
冒頭を少し転載させていただきます。
その記事のタイトル「妻が過去を夫に告白するのは思いやりのないエゴではないだろうか」です。
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文化人や政治家を網羅したある会合でスピーチを所望されたとき、司会者がこんなことを言って、私を紹介しました。
「松窪博士は、今までに1万人以上の処女膜の手術をなさったことで有名なかたですが、先生があの世へ旅立たれますときは、おそらく三途の川で、手術を受けた女性を妻とした男性たちにとり囲まれ、よくもおれたちをだましたな、と袋だたきにあうのではないか、と心配しているしだいです」
このユーモラスな紹介に満場からドッと笑いが巻き起こりましたが、私としては、このことには、単なるユーモアとして聞きすごすことのできない、重大な内容が含まれていると思いましたので、さっそく私もユーモラスな調子の中にひと言、反発の辞を述べざるを得なかったのです。
「ただいま、司会者から、三途の川で袋だたきにあうのではなかろうかと、ご心配いただきましたが、私自身は、さようなことは、いささかも心配しておりません。三途の川では、彼女たちの夫がおおぜい出迎えてくれ、こんなことを言ってくれるのではないかと思っています。
―松窪先生、シャバではたいへんお世話さまになりました。私は死ぬまで、自分の妻が先生から処女膜の手術を受けたことを知らず、純潔な処女と結婚したとばかり信じきっていました。
そのために、楽しく平和で幸福な家庭を持って、生涯を過ごすことができましたことを、私は先生に感謝申し上げたい気持ちでいっぱいでございます。
私たちは、妻にだまされたがゆえに、妻を心から愛することができました。もし、妻が処女ではないことを知ったら、私たちは、あのように平和な結婚生活を送ることができたかどうか、疑問だったと思います。
私たちを、みごとにだましてくださった先生は、私たちの大恩人でございます―
このように男たちは、私をとり囲んで、口々にお礼を言うでありましょう。いや、謝恩パーティーでも開いてくれるのではないかと思っています。袋だたきだととは、とんでもないことでございます」
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この言葉は、松窪先生にとってはまったく冗談で言っているわけではなく、1万人以上の女性たちを救ってきたという信念が込められています。
彼はまだ医学生だったころに親戚の女性からフィアンセに裏切られて処女を失ってしまったという手紙をもらいました。どう返信していいかがわからないうちに彼女は自殺をしたそうです。
それが彼の医者としてのスタートになりました。
手術によってたくさんの女性を救ってきたという自負があるものの、手記の中にもあるのですが、処女・非処女などというものが、問題にならないような社会になることが一番望ましいと考えられていたようです。
嘘を突き通すことが、必要なときもあるという信念から他の医療関係者からのバッシングに合いながらも信念を貫く姿勢は見習うべきかもしれません。
ただ、僕の場合は嘘そのものを否定していて、創造主が自分である以上は、嘘をつくことはあまり意味のない行為だという考えです。
松窪先生は、たいへん仲のいい母親と子供がいて、母親が死ぬ間際に息子に対して本当の父親は、別にいるという話を息子にしたというエピソードを持ち出していました。息子にとっては、黙っていて欲しかったといえるものかもしれませんし、誰も得する話でもなく、単なる母親のエゴでしかないのかも知れません。
しかし僕から言わせれば浮気相手の子供を身ごもったときに正直に話すべきだったと思います。
そうしていれば何十年も苦しむ必要もなく、死ぬ間際になって最愛の息子にショックを与えることもなかったはずなのです。
暴漢に襲われて処女を奪われたために再生手術を希望する女性も多かったようで、そんな女性に対しても全てをカミングアウトするべきだとは簡単には言えないですし、そういったことを乗り越えて幸せを手に入れるために手術を決断する勇気も評価しなければいけないと思います。
嘘を突き通すということが、どれほど自分にとって負担になるのか。
その負担を背負っても得られる幸せがあるのか。
今のところ僕にはわかりません。
嘘を貫き通すということの是非は、他人が決めることではないというのが、答えなのかも知れません。
ダイエットのためにカロリーの低い鶏ムネ肉のハムを作るのが最近のマイブームです。
余った皮を捨てるのが勿体無いので、たっぷりの油でカリッと炒めてみました!
意味無いじゃん!というつっこみは無しでお願いします。
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Q&Aサイトで回答してきました。
セックスレスに悩む30代後半の女性の質問に対してです。
以前にも同じサイトで質問して、たくさんの回答を参考にご主人とも話し合ったそうですが、効果がなかったということで、会員制サイトで悩みを相談したいのでそういったサイトを教えて欲しいという質問です。
僕の回答をそのまま転載します。
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こんにちは。
既婚女性の悩みをたくさん聞く立場からお答えさせていただきます。
最初に会員制のサイトについてはよく分かりませんが、恋愛についてはかなりいろんな悩みと回答が寄せられているので、参考になるかなと思います。
恋愛ユニバーシティ
http://u-rennai.jp/static/page/lp/renewal/
ただ夫婦間のセックスレスについては、恋愛のかけひきのようなもので解消しようと思うのではなく、あなたがセックスレスの状況になっていることで、具体的にどういったことが問題になっているかを分析することが必要かと思います。
セックスレスというのは、夫婦関係で本来あるべきもの(あなたがそう思っているだけ)が、ないということです。
あなたは本当にご主人とセックスがしたいのかどうかを考えてみて下さい。
男性の9割以上、あるいはもっとかも知れませんが、セックスというものの本当の価値を知りません。
AVや本などで得た少ない情報とそれまでの経験から身に付いただけであって、女性が感じるバロメーターが100とすれば、30にも満たない状況でセックスをしていると考えていいと思います。
そんな稚拙なセックスであっても愛するパートナーとの触れあいによって、女性としての自尊心や愛情を確認する手段となっています。
ここで僕がいいたいのは、あなたはセックスそのものがしたいのではなく、ご主人から相手にされないということに対する自尊心の崩壊やどんどん歳をとっていくことからの焦燥感や喪失感などの不安から、その打開策としてセックスというものしか頭に描けないのではないのかなということです。
互いに裸になって交接することまで考えると、セックスを拒否する男性からみて、かなり邪魔くさく感じるものです。しかし服を着たままで抱き合ったり、手を握ったり、キスをするぐらいであれば可能だと思います。
頭を撫でてもらったり、背中をさすってもらったりするだけでもあなたのイライラはかなり解消するはずです。
僕はセックスレスの女性からの相談をたくさん受けていろんなアドバイスをしていますが、やはりあまり効果がありませんでした。
そういった経験からセックスという言葉自体に問題があると考え、タクティリスという新しい夫婦のスキンシップの形を広めようと思って活動しています。
タクティリスというのは、ラテン語で「触れる」という意味ですが、これを知ったきっかけはタクティール・ケアという体に触れることによって気持ちを安定させる医療行為の存在を知ったからです。
セックスについてご主人と話し合うのはお互い抵抗があるかも知れませんが、あなたの精神的な問題を解決するための医療行為として、ご主人の協力が必要なんだということを説明するのはそれほどハードルも高くないと思います。
セックスレスによってイライラが募り、子供に被害が及んだり、仕事にも実際に影響がでているのですから、それはあなた自身の問題というよりも家族全体の問題だという意識で、これに向き合うべきです。
セックスレスと言うと、どうしても個人の欲求を解消したいからという考え方になりがちですが、そう思ってしまうと言いたいことを我慢してしまいますし、男性側からみてももっと大事なことがあるだろうっていう思考になってしまいます。
家を守るべき女性の精神状態が不安定なほど、その家族にとってよくないものはありません。
自分のためということではなく子供やご主人のためだという気持ちで、この問題に向き合ってくださいね。
タクティリスをしているとされるほうは当然気持ちいいのですが、している方も癒されてきて、自然に相手を愛おしく感じてくるものです。
セックスはその延長線上にあると思ってください。
お幸せに。
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この回答を書いているうちにどんどんタクティリスが、夫婦間の問題を解消する武器になるのではないかと思うようになりました。
あまり難しく考えず触れ合うということだけ意識してみてはいかがでしょうか。
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