サロゲートパートナー

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2017年03月

子供の頃から自分は完璧主義者だと思っていました。

思っているだけで、実際はまだ本気出してないだけという気持ちもあって、ちぐはぐな性格だったと思います。

今もたぶん基本的なところはまったく変わっていないような気がしますが、結果的にぜんぜん完璧じゃないものを作り上げていることも多くて、最近はそれはそれでありなのかなとも思うようにしています。

完璧じゃないものを作りたくなくて、何も完成させないよりも、完璧じゃなくてもとにかく完成させることのほうが、次につながりやすいと思うからです。

失敗を恐れてなにも行動しないことと理屈は同じかも知れません。

完璧や理想などというのは、ゲームやスポーツの世界には存在するかも知れませんが、人生には存在しないもののような気がします。

それを目指すことは、決して間違いではないと思いますが、そうならないことを悲観したり、情けなく感じる必要もありません。

むしろその現状をパーフェクトな状態だと思うべきです。

今の自分がパーフェクト。

完璧からパーフェクトに言葉が変わってしまいましたが、生きてるだけでパーフェクトでいいんじゃないかと思います。

旅日記などでよく写真を撮ります。

このブログではひとつの記事に掲載できる枚数は50枚までと決まっているため、結構選別するのが大変です。

だいたいその4~5倍ぐらい撮影しているので。

でも写真を整理しているときに思うのは、肉眼で見るよりもずっと対象物を見ているなと感じることです。

人間は音にしろ見えるものにしろ、かなり適当にしか識別していません。見ているようでまったく見ていないのが現実です。

レンズ越しの場合は、対象物の何が撮りたかったのかがはっきり判るため、撮影された写真をみるとその時の自分が対象物のどんなところに関心があったのかが良く判ります。

それは肉眼でも出来ることだと思うので、これからは少し意識して周りを見てみたいと思います。

施術のときは特にかも知れません。

たまに目が鋭くなっているかも知れませんが、怒ってるわけではないので、そういった事情なんだなと思ってください。

人生を振り返って、あの頃がいちばんよかったなと思ったことがある人は多いのではないでしょうか。

僕は高校2年生のときに、勉強も部活も交友関係など全て充実していて、布団に入ったときに自分はなんて幸せなんだろうって思ったことがあります。

僕の人生の中で、間違いなくピークです。

でも、それはひとつのピークであって、今でもなんて幸せなんだろうと思うことがしょっちゅうあります。

何度もピークがあるなんて、使いかたを間違っているかも知れませんが、桜が満開になるのと同じように、人生に満開がいくらあってもいいと思うのです。

過去のよかった頃と現在を比較してしまうことはあまり意味がなくて、もし今が自分にとっていい時期ではないのであれば、ピークを迎える準備中なんだと思うことです。

どう考えてみても、これからの人生で大きな変化があるとは思えないかもしれません。

ピークは別に大きな変化で訪れるものではなく、眠る前になんて幸せな1日を送れたんだろうと思ったときがピークだと考えればいいと思います。

1年に365回ピークがあってもいいはずです。

あなたのピークはこの先何度訪れそうですか。

阪急電車という映画を観ました。

婚約者を後輩に寝取られた女性が、婚約不履行として訴えない条件として結婚式への参加を認めさせます。

純白のドレスを着て行き、結婚式の思い出を壊してやろうとしたのです。

帰りの電車の中で、隣り合わせた年配の女性から、結婚式で新婦以外が白のドレスを着るのは非常識だけれど、知っててやったのだったら、それは非常識ではないという言葉がとても印象的でした。

確信犯とでもいうのでしょうか。

日本人はとくに和を重んじるので、揉め事をなるべく起こさない行動を選択しますが、時にはあえて、非常識な行動をとってみることも大切なような気がします。

我慢していつまでも自分を苦しめるぐらいなら、周りから非難されようと、その時に自分の思いを完全燃焼させるほうが、結果的には楽です。

女性が風俗を利用するのも非常識の範囲内かも知れませんね。

愛する人との別れはつらいものです。

亡くなってしまうのが一番つらいかも知れませんが、二度と連絡をとることもないという別れも、自分の人生に再登場することがないという点では同じです。

遠距離恋愛のように頻繁に会えない状況もつらいかも知れません。

一生の別れでも、たまにしか会えない関係でも、相手を想うことはいつでも出来ます。

同じ空気を吸いたくないと思うような相手と毎日顔を合わせているのと、会えなくても思い出すだけで心が落ち着く相手がいるのとどちらが幸せでしょう。

いつでも会えると思っている友達とも、もしかすると一生会わないかも知れません。

会うということが重要ではなく、想うことが重要なのだと思います。

いつも愛する人は、あなたのそばにいるはずです。

またまたキリスト教の牧師の話のような記事になってしまいました。

愛する人が、亡くなってぽっかりと心に穴が空いてしまったら、会えないだけで、心にずっと存在しているのだと思うといいと思います。

あの世は、もしかすると関わった人の心の中にあるのかも知れません。

人気があった人なら、あっちこっちに顔を出さなくてはいけないから、とても忙しくしているかも知れませんね。

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