サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2017年02月

小林聡美さん主演のかもめ食堂を観ました。

昔、やっぱり猫が好きという番組を見ていたことがあったのですが、その当時とほとんど変わらない容姿にまずびっくりしました。

舞台はフィンランド。

オープンから1ヶ月、ひとりの客も入らない食堂が舞台なのですが、なぜか一人で切り盛りしている彼女に焦りというものが、まったく感じられないのです。

僕も昔、飲食店をやっていたことがあるので、客商売の難しさを判っているつもりなのですが、もし彼女の立場だったら、髪の毛がほとんど抜けて、お酒に溺れているかもしれません。

この映画には、サスペンスやアクションなどの映画のようなドキドキするような場面はまったくありませんが、ずーっと心が温かくなります。

一番のお気に入りは、その店のメインメニューがおにぎりだったことです。

早くに母を無くし、年に2度、運動会と遠足のときにだけ、父親がおにぎりをにぎってくれたそうですが、その味が忘れられないことから、店のメインメニューにしたそうです。

僕も子供たちの運動会の日には、重箱いっぱいのおにぎりを作っていたので、その父親の気持ちがよくわかります。

逆に子供のときには、母子家庭だったので、普段姿すらみない母親が、行事のときにおにぎりを作ってくれたことが、とても記憶に残っていて、主人公である女店主の気持ちもわかります。

フィンランドの役者さんかどうかは判りませんが、3人の日本人以外は全て外国人ですが、とてもいい演技をされていて、好感がもてました。

疲れたときにお勧めの作品かも知れません。

最近、体臭がよく気になります。

まったく匂いがしないと言われることもありますが、人によっては僕の匂いというものがあるそうです。

いわゆるおやじ臭というのとも少し違うそうなのですが、一度着たセーターを次の日にまた着たりすると、一瞬匂いを感じることがあって、たぶんこれなんだなと気づきます。

でも着てから少し経つとまったく気にならなくなります。

匂いが消えたのではなく、その匂いが気にならなくなるように体が適応しているのだと思うのです。

嗅覚だけでなく、たぶん視覚においても、嫌なものを見たとしてもだんだんと見慣れてくることもあるはずです。

CMで氷の世界に裸で暮らす外国人を見ましたが、彼の体も寒さを不快に思わなくなっているのでしょう。

夫婦の問題にしても、同じことが言えるかも知れません。

よく夫の浮気で悩む女性からの相談を受けることがありますが、僕は自分には関係のないことなので、気にしても仕方がないですよとアドバイスします。

夫の浮気に妻が関係ない訳がないとキョトンとした顔をされるのですが、浮気相手の女性に貢いで、生活も出来なくなってしまっているということなら関係するかも知れませんが、ちゃんと働いて生活も不自由が無いのであれば、関係のないこととして捉えるほうが、自分自身が楽になります。

他人(夫)の浮気に関わったところで、苦しい思いをするのは自分なので、関係のないこととして捉えたほうがいいという理屈です。

嫌な匂いも、人間は自然と慣れてくることと同じで、浮気もたぶん慣れるはずです。

結婚に特別なこだわりや理想を持っている女性なら、そんな関係で結婚生活を送りたいと思わないかも知れません。

離婚して新しいパートナーを見つけることもひとつの方法かも知れませんが、浮気をしなくても、夫婦関係が破綻することもよくあります。

相手の嫌な部分や許せない言動なども浮気と同じで、気にしないことです。

他人の言動が許せない性格なら、一緒にならないほうがいいかも知れません。

その環境に適応するかどうかは、自分のこだわりを捨てることと関係するはずです。

大阪城の梅園に行った方から写真がメールで送られてきました。

寒い日が続き、暖かくなり一気に咲いたのか満開の様子で、花見客もたくさん来られていたようです。

桜もそうですが、寒さにずっと耐えているほうが、暖かくなったときに咲いた姿が立派にみえるのは僕だけでしょうか。

たぶん人間も辛く苦しい時期に耐え、あるきっかけで開花するようなことがあれば人間的にとても魅力があるような気がします。

僕みたいに毎日だらだらと過ごしていては成長も、綺麗な花を咲かすこともないのかも知れませんね。

辛く苦しい時期だと思っていらっしゃる方は、逆にチャンスだと思うべきです。

きっと綺麗な花が咲くはずです。

春は必ず訪れますからね。

世の中に野菜が1種類しかないとしたら、何がいいですかという質問があれば、僕は迷わず玉ねぎと答えます。

サラダにも出来るし、煮ても焼いてもおいしいし、焼き飯やパスタ、ハンバーグなどいろんな料理の脇役にもなるからです。

肉は? と、聞かれたら鶏肉のような気がします。

フルーツは無くてもいいですし、穀物なら米になります。

じゃあ、今いる知り合いの中で一人だけ選べと言われたらどうでしょう。

僕はたぶん選びきれないので、誰も選ばないということになるかも知れません。

逆に選ばれたほうも迷惑かも知れませんしね。

こんなことを考えたときに、いかに自分がたくさんの人に支えられて生きているのだということをあらためて実感しました。

孤独に押しつぶされそうになるのは、きっとたくさんの人に守られてきた経験があるからだと思います。

はじめから一人なら孤独も存在しませんし。

あなたは誰かひとりだけ挙げるとしたら、誰を選びますか。

アダム徳永さんの本で、印象に残ったことがあります。

1.愛し合っていてセックスも合う。
2.愛し合っているのにセックスが合わない。
3.愛し合っていないけれどセックスが合う。
4.愛し合っていないし、セックスも合わない。

と、いった中で一番不幸なのは何番? という質問でした。

僕の記憶がかなりあやふやなので、こんな質問ではなかったかもしれないのですが、2番の愛し合っているのにセックスが合わないのが、一番不幸だと言っていた記憶があります。

僕も確かにそう思います。

セックスが合わないと愛も冷めていくような気さえします。

愛ではなく、情に変わるのかも知れません。

ところで、話が少しそれますが、女性は好きな人としかセックスが出来ないとよく言われますが、その真偽は正直なところよくわかりません。

出来る人もいるというのは、確かでしょうけれど。

今回のタイトル、愛情と快楽なのですが、愛情を自分の理想のタイプの人と置き換えても構いません。

なんとなく、快楽というか、興奮することに、愛情とかタイプとかは、あまり関係ないような気がするのです。

逆に相手のことが好きで好きでしょうがないといった気持ちがあればあるほど、性的な興奮から遠ざかると思うのです。

医者ではないので脳の仕組みを知っているわけではないのですが、興奮を感じる箇所と愛情や好意を感じる場所というのは、相反の関係でどちらかが大きくなると逆のほうが小さくなるような気がします。

まったく見ず知らずの男性から、強姦されたり、痴漢されたりしていることを想像して興奮するといった話を聞くことがあるのですが、愛する人とのセックスでは、決して体験できない特別なものがあるはずです。

逆に愛する人とのセックスでしか、味わえない充足感や安心感みたいなものもあるのは事実ですけれど、快楽や興奮というものに関して言えば、愛とは別物だと言えるような気がします。

愛し合っていて、セックスも合うというのは理想ですが、セックスが合わなくても愛し合っていればそれで十分だと思えるようになることも大切だと思います。

僕の仕事上、愛しているけどセックスが合わないという女性と遭遇することが結構あり、その際に、合わなくても愛していればいいのではないかとは、言ったことがありませんが、今日はなんとなくそんな気持ちになりました。

一人のパートナーから愛情も快楽もどちらも手に入れようとするのは、とても難しいことなのかも知れないと感じています。

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