サロゲートパートナー

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2016年10月

頭で判っていても、感情に流されて、ついつい間違った行動をとることがあります。

僕の競馬もその典型なのですが、それはさておき、今回は恋愛についてです。

恋愛について正解も間違いも無いというのが僕の持論なので、間違った行動というよりも自分自身が苦しくなってしまう状態になると訂正しておきます。

苦しくても楽しくてもそれが恋愛なのだから、その状態になっていることをそっくり楽しめばいいのですが、当人にとってみればそこまで楽観できないようです。

夫とのセックスレスが原因で、女性としての存在意義を見失ってしまい、それを確認するために性感マッサージを利用される女性は少なくありません。

この記事を書こうと思ったきっかけになったリピーターの女性もその一人です。

彼女は今年の4月に初めて利用されました。

いろいろとこれまでの経緯をお聞きし、夫との関係を改善するよりも別の男性との出会いを求めた方がいいかも知れないという僕の感想のせいかどうかは判りませんが、そのすぐ後に出会い系サイトで一人の男性と知り会いました。

現在は営業職の彼の空き時間に連絡があり、その時に時間がとれれば会ってホテルに行く関係のようです。

先日、彼のことをどうしたら嫌いになれるのかという悲痛なメールが届きました。

常に彼からの連絡待ちの状況で、何週間もまったく連絡がないこともあり、会えば楽しいけれど、彼の都合に振り回されている状況が苦しいようでした。

彼女は体の関係だけじゃなく、恋愛がしたかったのです。

初めて会った際に、彼がどういった女性を出会い系サイトで探しているのかということを彼女の口から聞いていた僕は、彼と恋愛が出来るとは最初から思えませんでした。

彼女自身も彼がそういった関係を求めていないということは理解しているはずなのですが、感情をコントロールすることが出来ないために余計苦しまれています。

先日、お会いした時に二人は恋人同士でも恋愛関係でも無いと思いますよと厳しい言葉を言いました。互いに都合のいい時間があればその時間を楽しく共有できる関係でしかないのです。

もし恋愛をしたいのであれば他の人を探すしかありませんし、彼との関係を維持したいのであれば彼に対する見方を変える必要があります。

好きという感情を消す必要なないですが、会っていないときまで自分のことを考えてもらいたいと思わないことです。

彼女は月に1回のペースで性感マッサージの予約をしてくださっているのですが、僕からのメールが無いことにやきもきすることはありませんし、会っていないときに苦しむこともありません。

たぶんそれは会いたいと思ったときに自分から連絡して、予約をする自分主導の状態だということと、相手はそういう人なんだと理解しているせいだと思います。

感情をコントロールすることは、とても難しいですが、自分の欲求を満たす前に相手のことを理解すれば必要以上に心が乱されることも無いはずです。

彼女には1日も早く心が安定して、彼との時間を楽しめるようになって欲しいと思います。

内戦の影響で中東からヨーロッパに移動する人が、2011年から激増しているそうです。

これまで遥か遠い地域のことで、ほとんど関心を持つことがなかったのですが、地中海を船で渡る際にたくさんの人が亡くなっているというニュースを知り、いろいろと浮かんだので記事にしようと思います。

去年はヨーロッパに100万人の移民が逃れた為に、今年は受け入れる国の事情もあって、移民を抑制する施策をしたそうです。

そのため今年は33万人と減ったのですが、抑制されたために無理に渡航する人たちが増え、渡航途中で亡くなる人が去年の3771人を上回る3800人に達したそうです。

国民を守るために国があるはずなのに、それが人々にとって恐怖の場所でしかないというのはいたたまれない気持ちになります。

話は少しそれますが、不法入国者と聞けばとても悪い人だというイメージを持ちがちですが、犯罪を犯すために来ている人などは一握りであって、ほとんどの人が居たくなくてもしかたがないからいるんだということをこのニュースから理解しました。

人間はこの地球上に生まれてきた時点で自由でどこで住んでもいい権利があるはずなのに、国という一種の監獄に拉致されているような気がします。

日常の小さな拘束には悩み苦しむのに、大きな拘束は当たり前として捉えてしまいます。

結局、何が言いたいのか判らなくなって来たので、今日はこのへんで。

日本に生まれてよかったと心から思えない自分がいます。

たくさんの女性からいろんな話を聞いているわけですが、最近よく思うのが基準についてです。

人には自分尺度の基準というものがあります。

AさんとBさんが共に専業主婦だとして、結婚暦も夫との関係や子供の年齢も同じようなものであっても、Aさんは毎日楽しく充実した生活を送り、Bさんはいつも不満を抱えて悩んでいます。

その原因は彼女たちの基準が関係するのです。

堪忍袋の緒が切れたという言葉から考えると、基準は袋の大きさになるのかも知れません。

一番いいのは、袋に溜め込まないような性格を持つことなのですが、しつけや教育などによって、我慢という袋を誰しもが持たされてしまうのです。

Bさんのように不満をいつもか抱えている人は、袋が小さいのか、些細なことでも袋に詰め込んでしまうのでしょう。

性感マッサージを受けた女性が共通した感想を言うことがあります。

それは夫や義理の親の言動などに対して、普段はちょっとのことでもイラっとしてたのが、寛容になれたということです。

施術をすることによって、袋に溜まっていたものを一旦出したのか、袋が大きくなったのかなどといろいろ考えてみた結果、たぶん伸縮性が向上したというのが、一番しっくりきました。

風俗というだけで嫌悪感を抱く人もいらっしゃいますし、利用していても常に背徳感を感じている人もいるでしょうけれど、生理が順調になったとか、精神的に安定するというメリットがあることも事実だと思います。

基準というタイトルから少し話がそれてしまいましたが、落ち込んだり、イライラしたり、怒りっぽくなったときは、一度自分の基準を見直しみてはいかがでしょうか。

相手の変化を求めたり、自分自身を変えようとすることよりも、具体的で有効な方法となるかも知れません。

リピーターさんが、死ぬことは自分で決められないというから今後の生活設計をどうしたらいいのか悩むと言われてました。

彼女は近いうちに離婚を考えているようで、経済的な自立をする方法を本気で模索しているようでした。

自殺すれば自分で決めることが出来るんじゃないですかと、半ば本気でそう答えたような気がします。

自殺をしようなどとは今のところまったく思わないですが、その言葉を出したときに別のリピーターさんを思い出しました。

彼女は、生い立ちにとてもコンプレックスを持っていて、生まれてくることは自分の意思で決めることが出来ないので、せめて死ぬときは自分で決めたいと言われたのが印象的でした。

僕は今のところ死にたいと思うことはありませんが、子供が成人するまでは死ねないという気持ちが強いです。

天寿を全うするという言葉があります。

調べてみると二つの説があり、ひとつは生まれたときにあらかじめ与えられた寿命で、もうひとつは250歳を意味するそうですが、一般的にはやり残したことがないくらいに長生きすることと考えられているみたいです。

今日が寿命だとして、明日からは神様からのプレゼントだと思って過せばいいといった話が海外ドラマの中にありました。

プレゼントならそれまでの人生を引きずらずに、まったく新しい人生を送ることも可能だと思います。

つらく悲しい過去を引きずって生きていくのは、せっかくいただいたプレゼントを汚すことになりかねないですから、今日が第二の誕生だと思い切って新しい生き方をしてみるのもいいかも知れません。

新しい生き方を模索するのも、従来どおりに過すのもどちらでも構いません。

どちらも自分が選択した結果であるのは間違いなく、これから死ぬまでの全てを自分で決めていくことになるのです。

いつ終わるのか判らない未来のために、今を我慢する必要はない。

いつも思っていることですが、今回の会話でより強く感じました。

ちなみに天寿の上は王寿で1001歳、最高は9002歳で麦寿というそうです。

勧善懲悪という言葉があり、僕が子供の頃は、正義の味方が悪者ををやっつけて、めでたしめでたしという構図が当たり前だったのですが、ガンダムとか銀河英雄伝説みたいなアニメが登場してから、悪い方にもそれなりの言い分があるということを見せられるようになってから、めでたしめでたしと単純に喜べなくなりました。

メチャクチャ悪い人でも死ぬ間際に、いい人のような発言をしたりすると、なんとなく可愛そうになったりもします。

前回、ご紹介した海外ドラマなどはその典型のようなもので、悪い人がどうしてそんな風になったのかということまで描かれているので、とても複雑です。

性善説、性悪説などがありますが、僕は人が善か悪かを考えるよりも、自分が相手に対してどういうスタンスで接するのかが重要だと思っています。

どんなに人から悪者だと思われている人であっても、その家族や近しい人にとっては、とても大切な人に思われているでしょうし、誰からもいい人だと思われている人でも、本人は自分が嫌でしょうがないかも知れないのです。

湊かなえさんが、以前授賞式で、善人が意図しないで悪を作り出しているということがドラマになるといったことを話していましたが、突き詰めて考えてみるとこの世の中に善も悪も存在しないのかも知れません。

もしくは善も悪も同じものなのでしょうか。

人から嫌われたくないとほとんどの人が思っているはずですが、それでも悪者呼ばわりされてしまう人が出てきてしまいます。

自分自身を悪者だと思う必要は無いと思いますが、他人を悪者にすることもあまり建設的ではないでしょう。

僕がもし悪者と出会ったときは、たぶん下を向いて静かに通り過ぎるような気がします。

年のせいで闘うエネルギーが、なくなったのかも知れませんが。


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