サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2016年08月

夫婦仲がいいけれど相手は家族のようになってしまって、セックスの対象にならない。

最近、そんな意見を立て続けに聞いています。

正解かどうかは別にして、今日は、そのことについて真剣に考えてみようと思います。

まずセックスについて。

子供を作らない前提でのセックスであっても、繁殖しようとする本能が働いていることは否定できないはずです。

女性はとくに相手が誰でもいいというわけではなく、なるべく種として優秀なものを本能的に選んでいるようです。

また優秀な子孫を産むためには、自分とは違った能力をもつ種を必要とし、ふたつのいい所が組み合わさることが必要です。

その為、なるべく自分とはかけ離れた性格や考え方の持ち主が、性的対象になり、近親者のような同じ環境で育ち、似ている者は性的対象から除外されます。

たぶん結婚、もしくは長く生活をともにしていると、同じ環境のために、どんどん外見だけでなく内面も似てくるのだと思います。

ペットが飼い主に似るのも同じ理屈です。

その為、セックスの本来の目的である優秀で異なる種を求めるという本能が働いているせいで夫が対象外になるのではないかというのが、僕の今現在の結論です。

挿入はしなくてもスキンシップがあれば満足できるという女性もいますが、近寄ってこられるだけでも気持ちが悪いという人もいます。

もうそうなってしまうとセックスは苦痛以外の何ものでもありません。

セックスレスが離婚事由のひとつになっているということを聞いたことがありますが、それはとても間違ったルールだと思います。

本能的に嫌だと思っても、それを我慢しなければいけないというのは拷問です。

昨日、久しぶりにQ&Aサイトの質問に回答しました。

風俗に行ってるかもしれないと悩む妻が夫は行っているのかどうかを質問していました。

彼女は夫に対して風俗に行けば離婚すると伝えているそうです。

この記事を書きながら、その彼女のことを考えていたのですが、もし本人が生理的に夫のことを受け入れられなくなったらどうするのでしょう。

人間の生理は、自分でコントロールできず、思いがけないことが突然起きることがあります。

男女の愛とセックスを簡単に切り離して考えることは出来ませんが、愛=セックスという固定観念は、少し横に置いて、柔軟に考えることも必要ではないでしょうか。

たとえセックスが無くても、パートナーと添い遂げたいと思っている人もたくさんいますから。


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上記の画像は、訪問してくれている年代別の円グラフです。
50代が74.8%、40代が21.8%で、全体の96.6%を占めています。

性別は女性が92.3%で、このブログは40代~50代の女性に支えられています。

本当にありがたいことだと実感しました。

性感マッサージを依頼されるかたも40代~50代が中心で、その理由としては、子育てが一段落したことで、子供から自分に意識を向けることが出来るようになったというのが、一番ではないでしょうか。

また更年期が始まるというのも、大きな要因になっていると思います。

閉経が近づくということで、女としての人生も同時に終わると感じられる女性が、多いのも事実です。

手術で卵巣と子宮を摘出する前に予約をされたかたに、その時の気持ちを改めて聞く機会がありました。

彼女もまた前述の女性たちと同じような感覚になったようです。

ただ、彼女の場合は、その手術をきっかけにそれまで以上に女性であることを意識しだしたことも事実で、外見もかなり変化しました。

閉経しても、女性であることは変わりないですし、セックスが出来なくなるということもありません。

本人の意識によって、大きく変わる分岐点なのかも知れません。

施術を予約される動機には、女性であることをいつまでも捨てたくないという意識が働いているような気がします。

60代、70代になっても、色気のある人はいます。

男女を問わず色気を持つのは、生きるエネルギーを高めてくれるはずですし、長生きの秘訣ではないでしょうか。

閉経は、終焉ではなく、単なる折り返し地点でしかありません。

そこからゴールまでどんな風に走り続けるかが、人生にとって重要だと思います。

今回のタイトルを不幸にするか幸福にするか迷いましたが、結局幸福にしました。

僕はどうしても我慢できないこと以外は、人ごとなのだからという理由で、相手に対して意見を言うことはほとんど無いのですが、先日、メールの内容が読むに耐えないためにそのような内容のメールは今後送らないで欲しいと言いました。

リピートしてくれる方の中には、夫以外の男性と付き合っていて、その男性のことが好きで仕方がないといった人がいます。

結構、多いかも知れません。

好きな男性がいるのに、何故利用するのかということは、今回の話には直接関係ないので書きませんが、好きな人のことで悩んで、その相談のメールに対しては僕なりの考えを返信します。

今回、二度と送って欲しくないといった彼女も既婚者で、1年ほど前から付き合いだした男性がいます。

単にのろけられるのであれば、別に問題は無いのですが、彼女の場合は、ゆがんだのろけ話になってしまっていて、辛くてメールが読めなくなるのです。

簡単にいうとDVの男と離れられない女性です。

あざや痛みが残る喧嘩をすることもあるようで、警察にも相談に行ったこともあったそうですが、痛みがなくなるのと男からの優しい言葉や態度で、また以前以上に離れがたくなってしまっています。

僕からみると、そんな男と早く別れて、別の男性を探すほうがずっと幸せだと思うのですが、彼女にとっては、それが幸せなのです。

たぶん僕以上に自分のやっている事や、男の駄目さ加減を理解しているはずなのに、別れるという選択肢はありません。

メールをいただくたびに、彼女がどんどん不幸になっていく姿が想像でき、ついに我慢できなくなって、メールを拒絶しました。

もし彼女が自分の娘なら命をかけてでも男と別れさせるかも知れませんが、もう立派な大人であり、母親である女性に対して、僕が言うことは何もありません。

ただ、怪我だけしないで、うまく付き合っていって下さいとだけ返信しました。

幸福か不幸かは、自分しか決めることが出来ません。

たとえ選択を間違って、命を落としたとしても、たぶんそれはそれで幸福だったのだろうと思います。

そんな風に考えてみると、この世の中に不幸など存在しないのかも知れません。

不幸が存在しなければ、逆の幸福も存在しないことになるのですけれど。

最近、影響力の武器という本を読み返しています。

マーケティングの勉強をしている人なら誰でも知っているといってもいい名著です。

サブタイトルは、「なぜ、人は動かされるのか」です。

人が行動を起こす動機やその手法などについて、詳しくかかれている本なのですが、その中に社会的証明の原理といったものがあります。

社会的証明というのを簡単に説明すると、人は流されやすいということです。

周りの人がやっているから自分もやってみようとか、なんとなく多数のほうが正しいと思ってしまうこともその一例です。

昨日の記事「極楽」では、法的な審査や当事者間での話し合いは終わっても、大手メディアに出るためには社会的に許しを乞わないと出演できないということのジレンマを書きました。

もしかすると出演者や番組制作者全員が感じていたものなのかも知れません。

世の中にはモンスタークレーマーという人たちがいます。

ただ、その人たちはモンスターなので、わざわざ顔色を伺うことも無いはずなのですが、声が大きなものが勝ってしまうようなこともあり、全ての人から文句が言われないようになるべく穏便に物事を解決しようとする風潮があります。

民主主義の基本が多数決なので、そういった風潮になるのは当たり前なのかも知れませんが、実態の無いものに操られているような気がしてとても気持ちが悪いのです。

僕自身は、子供の頃から人と反対のことをすることに快感を覚える性格だったので、自分に関係の無い事件を起こした人に対して、大勢で正義感を振りかざし、裁きを加えることが正しいといった風潮に余計に違和感を感じるのかも知れません。

観ていて気分が悪ければ観なければいいし、自分が受け入れられないことであれば、それに関わらなければいいだけだと思うのです。

また犯罪だけでなく、どんな業界でも社会的な風潮によって、現場の仕事がやりづらくなることがたくさんあるはずです。

それまで当たり前だったことが、突然出来なくなってしまうことなど日常茶飯事ではないでしょうか。

それが本当に人間にとっていい選択なのかといった議論よりも、問題を起こす原因を取り除こうとする風潮があります。

たぶんそれは手術と同じで、悪い患部を切除してしまえばいいという考え方なのでしょう。

2日続けて難解で、内容の無い記事を書いてしまいました。

ここまで書いてみて、よくよく考えてみると僕自身が、ネットの情報などに反応し、その風潮に流されているのだということが判りました。

自分だけは違うと思っていることが、既に間違いなのかも知れませんね。

7月30日放送のめちゃイケに10年ぶりに山本圭壱さんが出演されていました。

未成年にお酒を飲ませ、淫らな行為をしたということで、吉本興業を解雇され、芸能界から追放された人です。

細かい説明はいらないと思うのですが、朝の情報番組「スッキリ!!」の司会をされている加藤浩次さんの相方でもあります。

コンビ名は、極楽とんぼ。

動画サイトで、10年ぶりに地上派に登場した山本さんや、元の仲間たちとのかけあいなどを観て、涙していたのですが、時間が経つにつれ違和感を覚えるようになりました。

2時間の放送で、1時間半ほど前振りがあり、いよいよめちゃイケメンバーと10年ぶりに対面するという場面で、山本さんは笑顔で登場しました。

待ち構えていたメンバーたちは、その態度に違和感を覚え、山本さんから受けた迷惑について、こんこんと話し始めたのです。

笑顔で登場した山本さんの気持ちの中に、復帰したときには、みすぼらしい姿を見せたくないといったプライドがあったのだと思います。

しかし、メンバーからすると単なる独りよがりで、自分のことしか考えていない人間にしか映ってなかったようです。

僕は、その場面を観て、確かにメンバーたちのいうことはもっともだと思っていたのですが、よくよく考えてみるとそれほどの罰を受けなければいけないような罪を犯したのかと思うようになりました。

そもそも問題になった事件の相手とは、示談が成立し、不起訴処分になっていて、その時点で、彼の罪は無くなったといってもいいはずなのです。

ただ、法的には終わったとはいえ、芸能人として使い道が無いということで、芸能界から抹殺されていたわけです。

10年間も。

10年ぶりに対面した際に、笑顔で再会しようと思っていた山本さんの気持ちは、単なる独りよがりで自分勝手だといいきれるのか。

僕は、メンバーやスタッフがその日までたくさんの苦労をしたということについて否定をするつもりはありませんが、一番苦労したのは、山本さん自身であるのは間違いないはずです。

いまから思うと、そんな風に責められた時点で、自分の10年間の思いと、その笑顔について、もっと自信を持って話して欲しかったと思います。

もしそれで一生芸能界から追放されたとしても、他に生きていく方法はいくらでもあるのですから。

番組としては、視聴者から苦情が出ないように厳しくするための演出なのかも知れませんが、テレビに出るのがそれほど偉いことなのかと今となっては、そんな後味が残ってしまいました。

ただ、本人や、相方の加藤さんはうれしそうだったので、結果オーライなのでしょうから、僕が熱く語ることでもないということは間違いないのですけれど。

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