それを言っちゃあ、お終いだよ!
亡き、渥美清さんが演じたフーテンの寅さんの名台詞ですが、今の世の中では、幸か不幸かお終いになるような言葉を吐く人が少なくなりました。
たぶん時代が進むにつれ、もっと減少していくことでしょう。
ぬるま湯に浸かっているような世の中だと言いたい訳ではないですが、僕が生きてきたほんの数十年間の間だけでも、どんどん棘のある言い回しや角が立ちそうな表現は無くなってきています。
テレビ番組の放送内容が問題になったニュースでは、よくBPOという言葉を目にします。
BPOというのは、放送倫理、番組向上機構の略なんだそうですが、もともとは1969年に設置された、放送番組向上協議会と1997年に設置された放送と人権等権利に関する委員会機構が、2003年に合併された組織です。
設立当時は、放送と人権に関する委員会と放送と青少年に関する委員会で構成されていたのですが、現在はそのふたつに加えて、放送倫理検証委員会が加わっています。
番組を向上させるために出来た機構であるにも関わらず、面白いなと思う番組は減少する一方だと感じている人は僕だけでは無い筈です。
番組の質を向上するということと、倫理を重視するということは、本当は共存できるはずなのに、現代ではどうしても過剰なまでに倫理を重視する余りに、とても焦点のぼけた番組が氾濫するようになったと思います。
テレビだけでなく、今日のヤフーニュースを眺めていると、モーニング・ツーという月刊誌に掲載されていた「ヒモザイル」という漫画が休載となり、少し前には「境界のない世界」という漫画が出版社の判断で単行本化を見送られてしまうことになりました。
どちらも少数の読者を不快にさせる要素があるということが原因だと理解しているのですが、そもそもすべての人に納得してもらえるようなものが、コンテンツとして商業価値があるのかどうかが疑問です。
ビジネスを行ううえでは、それを一番重要視しなければいけない時代なのかも知れませんが、いろんな人たちのフィルターを通り抜けてきたものというのは、はっきりいって、毒にも薬にもならないものです。
しかし、それらの原因を作っているのは、提供する側ではなく、僕たちです。
少し前の記事で、人間は常に多数に流れるといった話をしたと思いますが、その影響かどうかは判りませんが、誰が言い出したか判らない風評により、社会全体がどんどん窮屈になっています。
僕は、常に本音で過したいと思っていますが、知らず知らずにそういった社会の風潮に影響を受け、考えや話し言葉を選択しているような気がします。
本音で話しているようでも、厳密にいうと建前が一人歩きするのです。
僕は、基本的に世の中に対して、批判するつもりなどないので、改善させようと立ち上がろうという気持ちなどまったくありません。
自分さえ楽しく毎日を過すことが出来れば、それで満足なのです。
理想は全世界の人たちが、僕と同じように自分さえ楽しく過す! と、いった気持ちを持ってもらうことなのですが、現実はそう簡単にはいきません。
本音と建前、理想と現実、もともと線引きするほうが難しいテーマだったのかも知れません。