サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2013年11月

今年もあと僅かになってきましたね。

ブログもあまり更新できず、体調でも崩したのか?!という心配のメールをいただきながら僕はと言えば掃除に励んでおります。

本業関係の書類がほとんどなのですが、実務上保管しておかなければいけないものを除けばほとんど捨てていいものばかりです。

施術の集客にも時間を使っていないということで、予約も減り、その分脂肪が体に蓄積するという理にかなった毎日を過しています。

なにかをしないとなにかが溜まり、なにかをすると何かが減るんですね。

今日は、掃除の最中に昔観た「蟹工船」の中で印象に残った台詞をプリントアウトしたものが見つかりました。

とてもいい内容なので、あなたにも紹介したくて久しぶりに投稿します。

以前、蟹工船をここで紹介したときに観られた方が教えてくれた台詞で、奴隷のようにこき使われていた主人公が、偶然ロシアの船に乗ることとなり、そこにいた通訳に言われた言葉です。

今が大事
自分のことは自分で決める

誰でも出来る
問題ない

生まれたときからの
大きい小さい関係ない
イメージする

イメージ=考えること
自分がどうなりたいか
イメージする、考える

考える
いっぱい考える

考えることをやめたら終わり
ず~~っと考える

で、

何をするかが見える
今することが見える

それでどうするか?
行動する

ひとりひとり考える
ひとりひとり行動する

自分が何がしたいか
自分で決める
自分の気持ち

今、何したい?

この言葉を聞いて、主人公は蟹工船に戻って現状を変えようと立ち上がります。

もし現在の自分を変えたいと思ったらお腹が空いたときのことを想像してください。

街を歩いていてお腹が空いたら間違いなく食べ物を扱っている店を探します。

人間は自分が欲しいと思う情報しか受け取ることが出来ません。

僕はなにものにも捉われずに自由でありたいといつも思っています。

だから自由になるための方法を24時間考えています。

そうするとそうなるための方法や事件が自分の前に現れてくるのです。

正確にいうと現れるのではなく、認識できるようになるのです。

お腹が空いたなら食べ物を探せばいいのにほとんどの人が理由をつけて探そうとしないのです。

あなたは今、何がしたいですか?

300字小説 第113回
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隷属とは、他の支配を受けてそれのいいなりになることとあります。

自分以外の他人に服従させられている状態であればその状況を変えることで、逃れられるという判り易い答えがありますが、問題なのは社会常識や自分自身が支配者となっていることに気がつかず、それが生きるためには必要なものだと疑わないことです。

仕事や結婚生活を維持するためには我慢も必要であるといったのも顕著な例だと思います。

我慢しながら維持することに価値があるのでしょうか。

我慢が出来なければそれを放棄しろと言っているわけではなく、我慢をしなければいけないという状況や自分自身の考え方に問題がある訳で、それを改善させる努力を放棄していることがおかしいと思うわけです。

ここまで読んでそんなに物事は簡単じゃないと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、たぶん複雑にしているのは自分自身であって、物事はそれほど複雑ではないと思います。

楽しいか楽しくないかで考えれば済むはずです。

得体の知れないなにかに支配されながら生きることは楽しくないに決まっています。

道徳・倫理・正義・根性・忍耐・社会貢献・奉仕などの言葉を部屋に飾っているような社長の下で働くことは、奴隷への近道となることでしょう。

人に何かを分け与えて、自分が我慢をするのは美徳だと考えられるかも知れませんが、もしそんな社会になると依存するものと我慢するものがうじゃうじゃいる世界になります。

もし何かを他人に与えたいのであれば、まず自分が与えても我慢をしなくて済むだけの力を持つべきです。

お金でも、才能でも、技術でも何でも構わないと思いますが、とにかくまず個人が自立しない限り支配するものとされるものという構図はなくなりません。

それは国と国との関係でもそうですし、夫婦間でも会社でも学校でも同じです。

そういう構図が存在する場所では、必ず争いごとが起きるのです。

そんなことはあらためて言うまでもないことですが、僕が言いたいのは自分が自分の奴隷になっている人が多いということです。

本来の自分と現実世界を生きている自分とのギャップが、事件や事故を起こしたり病気の原因を作ったりしていると思っています。

国家間の戦争も一個人の病気も構造は同じです。

なにかの問題があるから目に見える形となって現れているのです。

自分から解放されたいのであれば、道徳・倫理・正義・根性・忍耐・社会貢献・奉仕という言葉を一度無視してみてはいかがでしょうか。

それまでと違う基準を持つことで、得られる情報が変わってきます。

情報が変わると自分自身に変化が訪れることになります。

もし現状に不満を抱えているなら、一度お試しください。

300字小説 第112回
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妻を人としてではなくまるで道具か召使のように扱う夫の意識の中に自分の持ち物、所有物だと考えがあるのではないでしょうか。

これについては、夫だけでなく少なからずそういう考えを持つ妻も存在すると思います。

結婚すればお互いがお互いのことを自分の思い通りになるものと信じている人は意外に多いような気がします。

思い通りにならない場合は、自分を責めるのではなく常に相手を責めていませんか。

夫婦関係について、この一年間でたくさんの女性から意見を伺い、僕なりに夫の立場をとりながら検証してきた結果、簡単に言えば恋愛中はお互いがレンタルしているようなもので、結婚すると所有したと思う風潮が今日の夫婦生活の破綻に直結しているような気がします。

昔の結婚制度のように家と家が結びつくという考えにのっとったものであれば、嫁というものの存在は、とても重要で大切に扱うべきものであったように思いますが、今のように個人と個人が結びつくという考えに基づいた結婚ではそれほど嫁という存在は重要視されないように感じます。

レンタルしている商品なら傷をつけてはいけないと大切に扱うでしょうけれど、所有物であれば多少の傷がついても許してしまうような感覚で、相手を自分の意のままに操作しようとしているのではないでしょうか。

当たり前のことですが、人間はレンタルも所有もされるべきものではありません。

それはパートナーに限らず、子供に対してもそうです。

我が子であっても自分の所有物ではなく、自分と同じひとりの人間だということを理解した方がいいと思います。

腫れ物に触るかのような扱いをしろと言っているわけではなく、自分と同じように監視されるのは嫌でしょうし、小言を言われるのもうっとうしく感じるでしょうし、褒めれば嬉しいし、愛されれば心が満たされる存在だということを認識する必要があります。

僕は人間にとって一番必要なことは、人から頼られることだと思っています。

信頼するというのは、相手を信じて頼ることであって、疑って自分の意のままに操作することほど信頼と対極にある行為はないと思います。

妻や夫の行動を監視するためにお金の使い方やクレジットカードの明細、通話履歴、ひどいのになると車にボイスレコーダーまで隠して盗聴している人もいるみたいですが、そうやってパートナーを縛り付けることで得られるものっていったい何なんでしょう。

ペットでも常に鎖につながれているとストレスが溜まるのに、大人しくつながれている人間などいないと思うべきです。

結婚したパートナーはモノではありません。

結婚することによって、夫婦としての責任が発生するのではなく人間としての尊厳と信頼の上に夫婦としての責任が発生するのだということを理解するべきです。

離婚してしまった僕が偉そうにいうのはおかしいですが、もし夫婦関係がおかしくなりかけているのでしたら、根本的なことから見つめなおして欲しいと思います。

僕の二の舞にならないように・・・。


300字小説 第111回
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セックスレスもしくはそれに近い状態になっている原因は大きく分けると4つになります。

1.身体的な問題
2.お互いに関心がない
3.夫が拒否
4.妻が拒否

過去に結婚してから一度もセックスをしたことがないという女性がいましたが、それ以外は1~4の原因が絡み合って、気づいたらセックスをしないことが当たり前になっていたという感じではないでしょうか。

特によく聞くのが、ひとりの女性としてではなく母親としての役目を求められているということです。

子育てに追われるとそれなりに気持ちを紛らわすことが出来るのですが、ある程度手がかからないようになったり、専業主婦からパートや社員として働き出して新しい環境になると自分の存在価値をあらためて確認しようとする時間が増えます。

意識の変化が起きると夫の言動が、とても気になるようになり、女としての自分の存在を無視されているように思います。

最近はそういったことが原因で相談される女性が続いています。

年齢は三十代半ばから五十代後半までと幅広いですが、彼女たちに共通することはとても真面目な性格だということです。

男性経験が夫だけであったり、結婚前に多くて二・三人程度です。

結婚期間中に浮気などはしたこともないですし、そういったことを想像するだけでも罪悪感を抱くような方々です。

結婚している友人と話をしてみてもとても夫婦関係がうまくいっているように感じて、自分だけが理解しない夫に苦しんでいると感じています。

自分だけが夫を選び間違えたのではないか・・・。

違う人なら人生が変わっていたはずだ・・・。

といった疑念と後悔を抱きながら毎日を過してしまうことになります。

もし仮に優しくて女性として尊重してくれる男性が現れたとしてもそれは男性側からすると手に入るか入らないかという微妙な距離感がもたらす幻想の場合がほとんだと思うので、そういった期待を持っている方にたいしては、男は皆同じようなものだという話をします。

ただ、それでも夫の言動を聞いたり、妻・嫁・母としての役割を何十年も必死でこなしてきた話を聞くともっと独りの女性として幸せになってほしいと心から感じます。

夫が、妻に対して価値を再確認出来ることが望ましいのですが、何度も価値を踏みにじられてきた妻からするとそんな可能性はゼロに近いし、夫には期待もしないというのが本音のようです。

先日、何十年ぶりかの同窓会で昔好きだった人と再会し、その頃の気持ちが蘇って好きになったという女性がいらっしゃいました。

彼女としては互いの気持ちが通じ合えば肉体関係を持ってもいい、むしろ持ちたいとまで考えていたようですが、その男性は互いに家庭のある身ということで、割り切った気持ちで付き合いたいと思っていたようです。

どちらの考え方が正しいのかということではなく、考え方にギャップが生じて二人が望む結果にはならなかったということなのですが、その経緯があったからお金を払ってまで会ったことも会話もしたこともない男に相談するということとなりました。

彼女の行動を否定するひともいるかも知れませんが、僕は施術の結果が彼女にとって良くても悪くても行動を起こしたという事実はとてもいいことだと思います。

二人は毎日のようにメールでやり取りしていたそうですが、お互いの気持ちを確認しだしてしばらくすると彼からのメールが途絶えたようでした。

それから二ヶ月ほど経過し、その間もずっとメールが送られてくるのを心待ちにしていたようですが、僕はその話を聞いてその状態だといくら待ってもメールは来ないですとアドバイスをしました。

そのままでは彼女も彼も変化が起きていないからです。

ただ、今回の施術で、彼女の中に何らかの意識の変化が起きるのは間違いないはずなので、もしかするとメールが届いたり、逆に自分から気軽に送れるかも知れないし、彼に対する見方やセックスに対する自分の考え方が変わるかも知れないだろうと思います。

忍耐という言葉は、美徳のように使われていますが、夫婦生活において我慢や忍耐は必要ないと思います。

女としての価値を見出せない夫は、鑑定能力のない骨董品屋と同じです。

宝物を乱暴に扱って二束三文の商品を大事にしているようなものではないでしょうか。

でもよくよく考えてみると夫を責める前にまず自分が自分の価値を認識する必要があると思います。

自分に価値を感じていれば他人から踏みにじられることなどありませんからね。

300字小説 第110回
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今年もあといくつ寝たらお正月かなというカウントダウンに入るのも少し早いかなという時期になりました。

ややこしいですね。

世間はそんな微妙な時期になっているのですが、僕自身もとても微妙な状態になっています。

例えると気の抜けたコーラのような感じです。

簡単にいうと気合が入っていないということになるのかも知れません。

毎日、更新していたブログもポツリポツリといった間隔でしか投稿できていませんし、テーマ自体も常に溢れるほど湧き上がっていたときがあったなんて信じられないほど、今は思いつきません。

今日のテーマについても、ブログが書けないという状況に対しての自分の状態をそのままタイトルにしただけです。

体調が悪くなったとか、集中できないような事件が起きたという訳ではなく、どちらかというとそれとは間逆で無理しなくてもそれなりに過していられる状態に満足してしまっているせいなんだと思います。

働かなくても生きていけるほど余裕がある訳でも無いのですが、とにかくモチベーションというものがゼロになっています。

そんな状態に危機感を感じて焦るという気持ちは無いこともないのですが、どこまで続くか自然にまかせてみてもいいのではないかという気持ちもあります。

贅沢な悩みかも知れませんね・・・。

ただ、こんな状況でも自分を信じるということが出来ればそれほど焦る必要もないのかなと思っていて、焦るという感情を持つのは人間特有のものであって、そんな感情に振り回されるほうが時間を無駄にしているのではと思うわけです。

植物などがそうですが、しっかりとした根を土の中にはることが出来れば自然と元気に育つようになっています。

焦っている人たちは、大切な根よりも枝の形や葉の付きかたなどに一喜一憂しているのではないでしょうか。

いつもなにかに追われているような危機感を持つということも大切かも知れませんが、本当に自分にとって大切なこととそうでないことは、理解する必要があると思います。

僕自身もまだまだ理解できていませんので、気の抜けたコーラでも飲みながら考えてみようと思います。

300字小説 第109回
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