サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2013年10月


ライフサイクルとは、人間の一生を誕生から成長、衰退へと描く周期のことで、もともとは心理学者のエリク・H・エリクソンが、彼の著書で使ったことで広まったとされています。

エリクソンが人生を8つの段階(乳児期・幼児期・幼児期初期・学童期・青年期・成人期初期・成人期後期・老年期)に分けて、それぞれの時期に解決すべき課題があるとしています。

この人間のライフサイクルをマーケティングに活用したのが、製品ライフサイクルといいます。

製品ライフサイクルというのは、市場に登場して消えていくまでの過程のことで、これは一般的に4段階に分かれます。

導入期→成長期→成熟期→衰退期です。

どんな商品でも例外なく訪れますが、ロングセラーと言われている商品は成熟期が長く続いていると考えてください。

導入期では、商品を認知してもらわないといけないために多額の販売費や大量生産もできないためにコストがかかり、利益を確保することが難しいですが、成長期からコストと利益のバランスが逆転し、成熟期になると安定した利益を確保することが可能となります。

今回の記事で、マーケティングの話をしようと思ったのではなく、男女間においてもこのライフサイクルというものが、存在しているのではないかと閃いたのでテーマにしました。

付き合い始めたときは、お互いに相手に理解されようということでかなりの時間とお金をかけます。

気心が知れてくるとデート代に使っていた金額がだんだんと減ってきます。レストランから食堂に変わったり、映画館からレンタルDVDになったりといった具合にです。

二人の関係が安定してくろとそのうち結婚を考えるのですが、これは衰退期を迎える前に商品の新たな価値を訴求して、再び成長を目指すことと同じだとも言えます。

そこからまた導入期→成長期→成熟期へと変化していくのです。

導入期では、結納や結婚式、新居、家具など多くのコストをかけることとなります。

結婚後にこのライフサイクルが適用されるとすれば、成熟期から衰退期に入る前になんらかの対策を講じなければいけません。

一般的には、倦怠期と呼ばれていますが、その倦怠期を解消するための特効薬のようなものは存在していません。

存在しない理由の一番は、うまくいっている夫婦もあるので、そうでない夫婦は単に努力不足だとか忍耐が足らないと判断されているせいだと思います。

もしこの結婚ライフサイクルというものが、どの夫婦にも共通して存在するものだという前提で考えるようになれば、もっと大胆な対策を講じることが可能となるかも知れません。

結婚後、最初の衰退期を回避するための商品やサービスが開発されていくような気がします。

ある一定期間、または一定の条件をクリアした夫婦であれば、結婚していても互いの浮気に対しては、一切責任を問われないというような法律でも出来ると面白いと思います。

自分の浮気は許せても妻の浮気は許せないという夫にとっては、驚異になるのではないでしょうか。

第二次結婚といったような大きなイベントがあればそれに向けてお互いの視線が同じ方向を向くかもしれません。

夫婦関係がうまくいかない理由の大きな要因は、お互いに自分の意見を認めさせようとすることだと思います。

以前にも結婚を会社に例えて話をしましたが、目的は会社に利益をもたらして社員が豊かになることです。

決して社員同士が言い争って優劣をつけることが目的ではありません。

個人的な利害に捉われることなく、株式会社結婚をどのように発展させるかを考えてみてはいかがでしょうか。

結婚ライフサイクルの存在を認めることからはじめるといろんなアイデアが浮かぶような気がします。

300字小説 第102回
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『陣痛』

信号がやっと青に変わり博史はアクセルを強く踏んだ。

太田につかまる直前に正美が入院している病院から陣痛が始まったという知らせを聞いた。

妻の出産のために早く帰らせて欲しいと一言言えばよかったのかも知れないが、太田に頼みごとをすることがどうしても博史にはできなかった。

プライベートなことに干渉されるのを避けたいというのも関係していたのかも知れない。

太田は初めて会ったときに、博史が前職では賃貸物件の営業だったということに対してあきらかに見下した態度で接してきた。

「賃貸と違って分譲は責任も思いし、勉強することもたくさんあるので、気合を入れて働いてください」

自己紹介のあとに太田が博史に投げかけた言葉だった。
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プロの世界では、結果が全てだと言われます。

当然、大リーグや日本のプロ野球の一軍で活躍しようと思えば、チームが勝つための力をアピールしなければすぐに首となります。

ただ、それは一握りのトッププレーヤーについて言われているだけで、野球が好きな人がその世界にかかわりながら人生を楽しむこととは違います。

ゴルフでも賞金やスポンサー料だけで生活できる人は、ほんの僅かですが、レッスンプロやテクニックやゴルフ界の話などを文章にしたり、本や教材にして販売して収入を得る人もいます。

僕は、結果が全てだと思っていますが、それはあなたが思っているような結果ではありません。

僕の考える結果は、とにかくその日、その時間を楽しめることが出来たかどうかです。

野球選手になろうと一生懸命に努力したにもかかわらず、最終的に夢が叶わなかったとしてもその過程において、毎日を楽しく過せていたのであれば、野球選手になれなかったという結果に対しても満足できるはずですし、もしそれが僕ならたぶん、もっと自分にとって楽しい未来が訪れることになるんだと頭を切り替えるはずです。

とにかくその状況を楽しむことを習慣にしていると自分にとって苦痛だと思うことがなくなります。

夫婦の会話でもそうです。

仕事から疲れて帰ってきた主人に対して、家にいる時間が多い妻が、結局何をいいたいのかわからないような話を延々と始めることがあります。

妻からすればその話に対しての結論を求めているのではなく、自分に共感したり、同調してもらって話をうんうんと聞いて欲しいだけなのですが、夫にすれば仕事で効率を求められている関係上、要点を絞っていない話を聞くことが苦痛となり、結論を早く求めたくてイライラしてきます。

この場合は、話の結果を求める夫と会話の過程において同意や労いを求めたい妻との間でギャップが生じているのです。

夫は結果を求め、妻はプロセスを求めているのかも知れません。

先日、用事があって区役所に行ったのですが、申請書類を待っている間、ベンチで座っていました。

その直ぐ前に30代の夫婦らしきカップルが座っていたのですが、新婚のせいなのか、ずっと仲がいいせいなのかはわかりませんが、彼らは常にお互い笑顔で楽しそうに会話をしていたのです。

それは会話の内容も多少関係するかも知れませんが、それ以上に一緒にいられて会話が出来るということ自体を心から楽しんでいるように見えました。

それとは逆に、眉間にしわを寄せながら無口で一言の会話も無く、一緒にいる中年の夫婦を見ることがあります。その中年の夫婦では、お互いが楽しいと思えるような会話は年に数えるほどしかないだろうということが、安易に想像できます。

たぶんその夫婦は、自分で自分を窮屈にする癖がついているのでしょう。

多くの人もまた同じように自分にとって一番大切ことを、日々暮らしていると見失いがちになっているようです。

夫婦間の会話があまりなくなっている人は、付き合い始めた頃のことを思い出すといいと思います。

デートや電話で、何時間もたわいもないことを話していたと思います。

それは一緒にいられるだけで楽しいということが、根底にあるからです。

結果もプロセスも単なる言葉にすぎません。

とにかくその瞬間を楽しむこと。

夫婦であればお互いが、そういう姿勢であれば会話のギャップもまた楽しめることでしょう。


おまけ

この記事は、4日ぶりに書いたのですが、毎日記事を投稿することが、少し前から苦痛に感じる自分がいて、無理をしているなと思っていました。

自分が本来したいと思っている「楽しむ」ということを自分に対しての規律が、妨害していたのです。

書きたいと思う、書いていてワクワクするということでないのであれば、無理に更新する必要はないかなと思ったので、そう気持ちが湧いてくるまではお休みさせていただいていました。

ただ、基本的には、毎日更新するという姿勢は変えていませんので、今後ともよろしくお願いします。

300字小説は、101話から正美の夫であるヒロシ(博史)に焦点をあてて、200話まで続けてみようと思います。

よろしくお願いします。

300字小説 第101回
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『信号待ち』

信号がまた赤になった。

午後九時二十三分。普段ならストレス無しに家まで戻れるはずなのに、今日に限って戒厳令がひかれたときの検問所かと思うほど信号につかまった。

博史は、信号待ちをしている間、右手で車のハンドルを小刻みにたたいている。

課長の太田につかまらなければ、これほど焦る必要もなかったんだと何度も後悔した。

博史は三十五歳、太田よりも二歳年上だが、正美の妊娠をきっかけにそれまでの不動産賃貸会社から新築一戸建て住宅を建築販売する不動産会社に転職した。

太田が新人に対して厳しすぎるのか、博史自身に新人としての謙虚さがないせいなのかは判らないが、とにかく太田と博史との関係は、お世辞にも良好だとはいえない。
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好きな人の中に宋文州さんという人がいます。

彼は、僕とほぼ同じ年ですが、日本で初めて外国人として会社を1部上場させた人です。

日本と中国を行き来していて、いつもニュートラルな考えで物事を捉えます。

ニュートラルな為に、逆に発言が過激に感じたりしてバッシングにあったりもしているようですが、彼の意見はとても参考になります。

彼のメルマガに漢字で人が囲まれると囚われるという言葉がありました。

僕のこのブログではいつも枠を作らないで自由に生きようということを書いています。

自分で枠を作ることは、囚人になることと同じだと思います。

プロフィール画像に使っているアメーバでは、自己紹介の中に将来の夢として「携帯電話から離れた生活をすること」って書いています。携帯電話は僕からみると鎖のように感じるからです。

今ではほとんど会社の固定電話でしか出ません。

昔は、固定電話を携帯電話に転送して、ひとつの電話ももらさずリアルタイムで、対応しなければと考えていましたが、今では転送もしなくなって、電話をほぼ無視しています。

親などから何で電話に出ないのかと聞かれるんですが、振り回されたくないと言っています。

クライアントからの依頼も全てメールです。

時には何時間も返信出来ないこともありますが、それでうまくいかなければそれだけの関係だと思っていて、特に支障は出ていません。

逆に相手の都合にあわさない方が、スケジュールがどんどんうまく運ぶようになっています。

枠を作るってどういうことなのかがわからない人もいると思います。

簡単にいうとこうであるべきという考え方や真理や正解などないと常に考えることで、枠から外の世界を体験できるはずです。

是非、お試しください。


今日で300字小説が、100話となりました。

ここで正美編は、いったん終了させていただきます。

次回は、別の登場人物の視点から、また101話から200話まで書く予定です。

その主人公を誰にするのかは、まだ決めていません。

これまでは、登場している人物の行動や発言などから次の展開を考えていて、どちらかというと登場人物まかせになっていました。

僕自身もどういう展開になるのか、わからなかったほどです。

次からは、少しだけ設計図を描いて、進めてみようと思います。

正美編と比べていただいて、いい点・悪い点などを指摘していただけると幸いです。

正美編は、とりあえずPDFにまとめましたので、一気に読んでくださる方は、以下よりDLしてください。


またこの1話から100話までが、約30000字となっていますが、推敲して27000字に減らします。

その出来上がった原稿は、有料(500円)で販売する予定です。

もし興味のある方は、メールにてお問い合わせください。


よろしくお願いします。

300字小説 第100回
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『石碑』

「京大生だったんだ……」

正美は、あからさまに驚くのも失礼かと思って、これまでと同じトーンでつぶやくように言った。

「特に隠すつもりはなかったんですが、聞かれなかったので……」

「自慢したがる人もいるんじゃないの? 私だったら自慢するけど」

と、正美は言った。

「自慢しても何の得にもならないし、逆に偏見を持たれるので、その対応に困ることのほうが多いんです」

「そんなもんなんだね。お金持ちの悩みがわからない貧乏人のような気持ちになってきたかも……」

「僕もお金持ちの気持ちはわかりません」

そんなことを話していると一基の石碑と遭遇した。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」

西田幾多郎の詠んだ歌だった。
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現実世界から人間が情報を入手して、それを脳の中で判別して理解したことが、その人の世界となります。

車を運転していると判り易いと思いますが、そのときに一番優先して入手している情報は、事故に遭わないための情報です。

前方の車、信号や標識、歩行者、ミラーに移る対象物などを優先して判別します。

目の前にある風景全てを見ているようで、見ていないのです。

運転している人と助手席にいる人とでは見ているものが、まったく違います。

目の前の現実世界が、同じであるにもかかわらず・・。

以前、施術中の女性が会話をしているときよりも綺麗になって見えると話しました。

その時は、彼女たちが性的な興奮を得ることで変化していると思っていたのですが、そうではなくて僕の視覚的な感覚が変化しているのではないかと思うのです。

僕はハンサムではないですが、何十人かに一人ぐらいに男前とか言われることがあります。

男前の基準があって、その人の基準を満たしているからだとは思いますが、彼女の基準に対して都合のいい部分を広い上げられているせいなのかなと思います。

人によっては年齢よりも老けて見えると言われたり、若く見えると言われたり様々です。

それらも彼女たちが外見を判断するときにそれぞれが、僕の顔から入手する情報が違うせいだと思うのです。

僕の顔が全部で100の情報で出来ているとして、人間が入手しているのは、20にも満たないのかも知れません。

何かがきっかけで、急に格好良くみえたり、綺麗に見えたりしだすのも、たぶん自分が入手する情報に変化が起きたせいでしょう。

自分の顔をあれこれいじくりまわすよりも、相手の基準を操作するほうが手っ取り早いのかも知れません。

相手の基準を操作するって簡単にはいかないですけどね・・・。

最初はなんの特徴も無い普通の人だと思っていたのに、その人の実績や考え方などを聞いているうちに見え方が変わってくるのもそういうことではないでしょうか。

一度そういった観点から物事を見てみるのも楽しいと思います。

300字小説 第99回
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『西田幾多郎』

「住岡夜晃は。広島の教育者で、ウィキペディアにも載っていないほど、世間では知られていない人です。仏教にも強い関心があったようで、法話の中で継続は力なりという言葉を使ったと言われています。僕もマミさん同様、最初は西田幾多郎の言葉かと思っていたのですが、調べていると違っていたようです。たぶん彼の著書善の研究の中で時間的継続の重要性を説かれていたことや彼自身の姿勢が終始一貫してぶれなかったことから継続することの大切さを身を持って表現していたせいだと思います。こんなに細かいことまで調べたのは、彼が僕の通っている京都大学の教授だったせいもあるかも知れません」

アゲハが初めて自分の通っている大学を明かした。
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