ひとつのエラー、ひとつのフォアボールからそれまでの好投が嘘のように崩れていく投手をたまにみかけます。
昨日のスポーツニュースでは、レンジャーズのダルビッシュ投手が紹介されていました。
今季初登板で、完全試合をあと1死で逃したアストロズを相手にまたも6回2死まで完全投球をしていました。
完全試合が崩れたのは、審判の下したボールの判定によるもので、そのジャッジに対してダルビッシュよりも捕手のビアジンスキーが激昂し、球審に噛み付き、退場処分となりました。
本来なら動揺してもいい場面でしたが、結果的には8回を投げて1失点の好投で、11勝目を挙げたそうです。
この記事の中で、ちょうど昨年の8月に3試合連続で6失点という最大のスランプを経験していて、その時にスポーツ精神医から過去にとらわれず次の1球を投げることに集中することの大切さを教えられてスランプを脱出したとありました。
ダルビッシュほどの投手であれば、子供のころからそういった気持ちの切り替えの大切さというのは、肌で感じているでしょうし、経験もして身につけているはずでしょうけれど、舞台が変わると出来なくなってしまうのかも知れません。
人生においても同様で、環境や相手が変わると同じ状況であっても感情が揺れ動いてしまいます。
カウンセラーによっては、過去の経験を掘り起こして今後に生かすという手法を用いる場合もあるかもしれませんが、僕は過去についてはほとんど考える必要はないと思っています。
ピッチャーと同じように目の前のピンチをどう切り抜けるのか。
次の1球を自分が思う最高の球にするためにベストを尽くすべきだと思います。
その為には、ピンチまでも楽しむぐらいの精神的な余裕を持つことが一番大切ではないでしょうか。
かならず自分が描く結末が待っているのだと確信しながら行動するのと、いつも不安いっぱいで行動するのとでは、結果は大きく変わってきます。
3割を打てば1流だといわれますが、20打席で5本のヒットで2割5分、6本で3割です。
20回の挑戦で1本多く打てたモノが、1流だと言われるのです。
一度の失敗で悩む必要などありません。
楽しい人生を送りたいのであれば、常に俯瞰して自分を眺めて観て下さい。
悔いの残る1球などというのは、この世に存在しないというのが、理解できるようになりますから。
300字小説 第42回
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『髑髏』
首には、7つのドクロで出来た胸飾りがぶらさがっている。
これは三蔵法師が、7度生まれ変わったとされているのだが、そのときのそれぞれの頭蓋骨を表しているそうだ。
天竺を目指すというのは、人生そのものを表すことで、その期間にヒトも7度生まれ変わっているのかも知れない。
そう思いながら、Mとの出会いの前後を考えてみると正美自身も生まれ変わっているような気がしていた。
自分はあのドクロで例えると何番目になるのだろうか。
更年期も始まろうかという年齢を考えてみると6番目か最後かなと思っているとふとアゲハのことを思い出した。
彼は、まだ1つ目か2つ目に違いないと。
「すごいな」
その時、漏らしたような声が肩越しに流れた。
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