サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2013年08月

ひとつのエラー、ひとつのフォアボールからそれまでの好投が嘘のように崩れていく投手をたまにみかけます。

昨日のスポーツニュースでは、レンジャーズのダルビッシュ投手が紹介されていました。

今季初登板で、完全試合をあと1死で逃したアストロズを相手にまたも6回2死まで完全投球をしていました。

完全試合が崩れたのは、審判の下したボールの判定によるもので、そのジャッジに対してダルビッシュよりも捕手のビアジンスキーが激昂し、球審に噛み付き、退場処分となりました。

本来なら動揺してもいい場面でしたが、結果的には8回を投げて1失点の好投で、11勝目を挙げたそうです。

この記事の中で、ちょうど昨年の8月に3試合連続で6失点という最大のスランプを経験していて、その時にスポーツ精神医から過去にとらわれず次の1球を投げることに集中することの大切さを教えられてスランプを脱出したとありました。

ダルビッシュほどの投手であれば、子供のころからそういった気持ちの切り替えの大切さというのは、肌で感じているでしょうし、経験もして身につけているはずでしょうけれど、舞台が変わると出来なくなってしまうのかも知れません。

人生においても同様で、環境や相手が変わると同じ状況であっても感情が揺れ動いてしまいます。

カウンセラーによっては、過去の経験を掘り起こして今後に生かすという手法を用いる場合もあるかもしれませんが、僕は過去についてはほとんど考える必要はないと思っています。

ピッチャーと同じように目の前のピンチをどう切り抜けるのか。

次の1球を自分が思う最高の球にするためにベストを尽くすべきだと思います。

その為には、ピンチまでも楽しむぐらいの精神的な余裕を持つことが一番大切ではないでしょうか。

かならず自分が描く結末が待っているのだと確信しながら行動するのと、いつも不安いっぱいで行動するのとでは、結果は大きく変わってきます。

3割を打てば1流だといわれますが、20打席で5本のヒットで2割5分、6本で3割です。

20回の挑戦で1本多く打てたモノが、1流だと言われるのです。

一度の失敗で悩む必要などありません。

楽しい人生を送りたいのであれば、常に俯瞰して自分を眺めて観て下さい。

悔いの残る1球などというのは、この世に存在しないというのが、理解できるようになりますから。


300字小説 第42回
=========================
『髑髏』

首には、7つのドクロで出来た胸飾りがぶらさがっている。

これは三蔵法師が、7度生まれ変わったとされているのだが、そのときのそれぞれの頭蓋骨を表しているそうだ。

天竺を目指すというのは、人生そのものを表すことで、その期間にヒトも7度生まれ変わっているのかも知れない。

そう思いながら、Mとの出会いの前後を考えてみると正美自身も生まれ変わっているような気がしていた。

自分はあのドクロで例えると何番目になるのだろうか。

更年期も始まろうかという年齢を考えてみると6番目か最後かなと思っているとふとアゲハのことを思い出した。

彼は、まだ1つ目か2つ目に違いないと。

「すごいな」

その時、漏らしたような声が肩越しに流れた。
=========================

2日続けてブログ更新をしませんでした。

お盆休みというわけでもないのですが、猛暑のために息切れしたのかも知れません。

明日(13日)から、また復活すると思いますので、今後ともよろしくお願いします。

何度も見に来てくださっている方には、本当に申し訳なく思っています。

ごめんなさい。

まだまだ猛暑が続きますが、楽しいお盆をお過ごしください。

前田

300字小説 第41回
=========================
『ふたつの顔』

正美は、如来や菩薩のような心を静めてくれる仏像を鑑賞することが本来好きなのだが、人間の煩悩のようなものを形にしている彫刻はないかと探しているうちにこの仏像を見つけた。

Mの施術を受けてから自分の内面や体に起きているこれまで経験したことのない感覚が気になったからだ。

深沙大将像は、如来や菩薩を静とするなら、あきらかに動の彫刻になる。

特徴をあげるときりがないのだが、あえて一番を挙げるとすればへそが童子の顔になっているところかもしれない。

顔の半分ほどに大きな口を開け、睨みつける顔を持つ像の腹部には、それとは対照的におだやかな童子の顔が浮かび上がっている。

正美は、自分もこんな2面性があると直感的に思った。
=========================

300字小説がたまってきてます。

書こう書こうとは、思っているのですが、もうひとりの自分がまだええのんちゃうのんって感じで、伸ばし伸ばしになっています。

なんとか日曜日ぐらいには、追いつきたいのですが・・・。

以前より、自我と自己というふたつの人格が人間を形成しているのではないかとお話していますが、前提として自己というのは、完成された非の打ち所のない存在となにげなく解釈していました。

でも、よくよく考えてみると本来の自分が、聖人君子だとは限らないわけで、怠惰でいつも寝てばっかりで鼻くそをほじくりながら暮らすことが、好きなのかも知れないなと可能性もあるのではと。

僕は、きっちりと計画立てて物事を確実にこなすということが、出来ないということは、自我も自己も認めている公然の事実でありますし、人と一緒のことをするのも苦手です。

この300字小説がいつまで続くのかはわかりませんが、もしこれが他人から義務として続けろとか言われていたら、もっと早くに終わっていたような気がします。

自分の意志だからこそ、なんとか続いているのです。

あやつり人形のようなもので、あやつる人が自己であり、人形が自我だと思っています。

もともと見えない糸で操られているのだから、別の人形があまり近づきすぎると糸がからまってしまう危険性があります。

結婚生活というのは、人間関係においてもっとも人形同士が近づく場となるわけで、人によれば重ね合わさるぐらいに近づくことが、結婚したものの義務だなどと勘違いしているのではないかと思うのです。

糸がからまると身動きがとれなくなります。

身動きがとれなくなるほどの絡み方でなくても、1本だけが絡んでも思うような動きが出来ません。

日々の暮らしの中で、息苦しさを感じていることがあれば、誰かが糸をひっぱっていることや、自分自身でもつれさせているかもしれないと考えてみるといいです。

息苦しさを解消するには、とりあえず落ち着いて絡んだ糸をほぐしていけばいいと思います。

僕の場合は、操っている人自体が怠惰なために、苦労しています。

その苦労を苦労だと思わなければ済む話なのですが・・・。

まだまだ自己をそのまま受け入れるという境地には程遠いかも知れません。

300字小説 第40回
=========================
『深沙大将』

アゲハというホストのプロフィールにあった趣味:仏像鑑賞という言葉をみたせいかどうかはわからないが、正美は、平日のパートの休みを利用して、高野山にある霊宝館に来ていた。

目的は、その寺が所有している鎌倉時代の仏像、「木造執金剛神立像(もくぞうしゅこんごうしんりゅうぞう)」と「木造深沙大将立像(もくぞうじんじゃたいしょうりゅうぞう)」を観るためだ。

この仏像は、鎌倉時代に活躍した仏師快慶の作品だといわれていて、その躍動的なフォルムから放出されるエネルギーは、千年の時間を超越するものがある。

正美が特に気にいっているのは、深沙大将(じんじゃたいしょう)像で、西遊記に出てくる沙悟浄にあたるとも言われている。
=========================

五輪書は、宮本武蔵が残した剣の道を突き詰めた書物のことで、この本は著者の鎌田さんなりの注釈も入れて、現代人にもわかるように解説されています。

宮本武蔵は、佐々木小次郎と巌流島で決闘をしたことで有名ですが、その戦い以降は、28年間も姿を見せなかったようです。

決闘時の年齢は、29歳でした。

五輪書の冒頭では、28・9歳まで60回以上戦って、負けることがなかったが、それは剣の道を究めたからではなく、たまたま相手が弱かっただけで、50歳ごろにやっと道理がわかるようになったとあります。

実戦で得たことよりもそれ以降の鍛錬で兵法の道を知り、それが諸芸へも通じる道だったと書かれているそうです。

ひとつのことを極めるとどの道にも通じるものがあるのでしょう。

五輪書は、「地・水・火・風・空」の5つの巻でまとめられていて、これは仏教からヒントを得ているのですが、仏教や禅といったものを敬うという気持ちはあっても、それに頼らずに自分が実戦や鍛錬において、確信を得たものだけをまとめているそうです。

とにかく無駄なものは、一切省き人を切るということに必要なことだけを追及するという単純であり、もっとも難しいことが、述べられています。

その為に、女性との恋愛などは、剣を極めるためにはまったく必要のないことなので、関心を持たなかったそうです。

ひとつの道を自ら切り開くためには、これほどストイックに生きていくしか方法がないのかと読みながら身のひきしまるような思いが湧いてきました。

しかし、僕にはとてもじゃないけど無理だと思いました。

ストイックという言葉の対極で生きているような人間なので・・・。

ただその中でも最後の空の巻にある言葉が印象に残りました。

「心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ、少しもくもりなく、まよひの雲の晴れたる所こそ、実の空としるべき也」

心意の心とは智恵で、意は気力という意味だとネットには書かれていましたが、僕の解釈は少し違っていて、心は生まれつきもっている感情で、意は養われてきた感情のようなものではないかと思います。

観見の観は、丹田(へその下周辺部)で観ること、心で観るということだそうで、見は文字通り目で見ることのようです。

二つの心と二つの眼を鍛えることで、自分の存在と周りとの関係をクリアにすることが出来るのだと思います。

最近の施術では、僕自身が興奮しているというエネルギーを発しながら、別の箇所では女性の性感度がどの程度高まってきているのかということを冷静に感知するように意識しています。

腹話術のいっこく堂さんのようにいくつもの人格が同時に存在しているような感覚です。

その時に観見ではないですが、視覚や聴覚などから入る信号とエネルギーそのものの変化などからわかる信号を分析しながら施術の仕方に変化を加えます。

文章にすると難しいですが、第3者がもし横で見ていたらふたりの興奮度が互いに高まりあいながら絶頂を迎えているという風に見えると思います。

五輪書から何で性感マッサージのテクニックの説明に変わってしまったのかは僕自身もよくわかりませんが、この性感マッサージ(タクティリス)を極めてみたいという気持ちが高ぶっているのは、間違いないと思います。

武蔵のように剣を置いて、芸術に進む日が僕にも来るのでしょうか・・・。

300字小説 第39回
=========================
『再送メール』

<食べて帰る>

会社の同僚や仕事関係の人と飲みに行って、家での夕食が必要ではないときは、必ず連絡をして欲しいと言っているので、必要最低限の言葉でメールが届く。

当初は、帰宅時間や一緒に行く相手のことなども書かれていたが、今は送信履歴から再送されてくるだけだ。

夫からすると妻と関わる時間は、とても無駄のように思っていて、なるべく省略したいのかも知れない。

正美の方も週に2回ほど送られてくる機械的なメールをみると不思議と1日の仕事が終わったような気がして、安堵感が湧くようになっていた。

毎日、このメールを送ってくれたらいいのにと考えていた。

ホストのサイトは、メールの操作をしているうちに自然に閉じられていた。
=========================

ダイエットの意味を調べてみました。

もともとは古代ギリシャ語で「生き方」や「生活様式」を表す言葉が、ラテン語、古フランス語を経て、英語になったとありました。

本来は、肥満の人が痩せるだけでなく、痩せ気味の人が太って、適正体重に戻すことも表すそうです。

ここで考えて欲しいのは、適正体重とか標準体重とかいうものについてです。

前にも書きましたが、僕は人間は一種類ではないと思っています。

白人・黒人といった人種の違い以上に同じ日本人でも様々な種類のヒトがいると思っています。

電車の向かいに座ったヒトを眺めればわかりますが、どうみてもブルドックだなとか、平目だなとか、リスだなとか亀だ!とか、あげればきりが無いほどいろんなヒトがいます。

健康を測る上で、標準値というものを参考にしますが、仮にこれを犬に例えてみてはどうでしょうか。

全部の犬種の大きさと体重の平均を標準値にして、たとえば全長は80センチ、体重が15キロが標準値だとして、チワワに対してもう少したくさん食べて大きくならないとだめですとか、セントバーナードに対して太りすぎなので、食事を控えてくださいと言っているような気がしてならないのです。

先にも述べたように、ヒトは犬以上にもっとバラエティに富んでいると思うのです。

ノミもいれば鯨もいるような気がします。

ダイエットを推奨する人たちが、本来の意味である「生き方」をもっと考えることが出来れば、体型などで悩んで精神までおかしくなってしまう人は減ると思います。

なまじ標準などいうものがあるから、それから外れると心配してしまうのです。

僕は現在、肉体改造中ですが、とくに体を鍛えたり、食事制限をしているわけではありません。

とにかく頭の中で理想の体型を思い浮かべているだけですが、3歩進んで2歩下がりながらも近づいているような気がします。

もし現在、痩せたいとか太りたいとか思っている人が、これをご覧になっているのでしたら現在の体型にまず満足(納得)することから初めてください。

自分が今太っている(痩せている)のは、すべて自分の行動の結果であると自覚するのが、自分の思い描く体型にするためには絶対に必要な条件だと思います。

それと最初に言ったとおり、いくら食べても太らないとか少し食べても太るとかいうのは、キリンと象の違い程度に考えればいいと思います。

人間の理想体型などというものは、ありません。

その人が健康で輝いている状態であれば、外見などは関係ありませんし、逆にそれがたぶんあなたにとっての理想のプロポーションになっているはずです。

あと最後に付け加えると、心の持ち方ひとつで自分を変化させることが出来ると思います。

ロバだったのをサラブレッドにするように。

ダイエットは、体型を変えるというよりも自分の一番居心地がいい状態にするという感覚で続けるときっと目標を達成することができるでしょう。

300字小説 第38回
=========================
『模索』

夕食の支度を始める時間になっていたが、正美はサイトを閉じられずにいた。

高木アゲハのプロフィール写真は、他のホストたちと違ってスタジオでポーズをとっているような華やかさがまったくなく、証明用の写真のように硬い表情をしていたせいか、逆に彼の人間性を映し出しているように思えた。

少し頑固で、たぶん笑うと子供のような笑顔を見せてくれるような気がした。

女としての肉体の変化を知りたいと思って、ホストのサイトを開いた当初の目的からまったく違う方向に向いていることに正美は、苦笑した。

彼と会って自分はなにを得たいのだろう。

答えのない問題をといているような感覚の中、メールの受信を告げる振動音がなった。

夫からだった。
=========================

↑このページのトップヘ