サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2013年07月

昨日の記事で、紹介した中村天風さんについてのエピソードが、詳しく書かれている本を読んでいます。

中村天風◎成功は、この「積極精神」についてくる:怒らない 恐れない 悲しまない 池田光著

です。

天風さんは、若いころ結核にかかったそうで、それを治そうと欧米の有名な人を訪ねまくったそうですが、2年間の旅で、得た結論は、誰も治療方法を知らないということで、意気消沈して日本で余生を過ごそうと帰りの船に乗り込みました。

そこで出会ったインドのヨガの聖者カリアッパ師との出会いが、大きく人生を変えたようです。

カリアッパ師とのやりとりはとても興味が湧くものばかりなのですが、修行の地に来てからかなりの日数が経ってもいっこうに天風さんに病気の治し方を教えようとしなかったので、しびれを切らせてカリアッパ師に問いかけたそうです。

カリアッパ師は、いつでも教える準備は出来ているが、お前の方の準備が整っていないと言いました。

天風さんは、自分も出来ていると言うと、カリアッパ師は、何も言わずに丼に水をいっぱい汲んで来いと指示し、その後に別の丼にお湯を一杯用意させたのです。

そしてお湯を水の入った丼に入れてみろと命令しました。

天風さんは、ばかばかしいと感じながらこぼれますと答えたそうです。

次の瞬間にカリアッパ師は、厳しく天風さんと諭したそうです。

「丼の水がおまえだ。おまえの頭の中には、今までの屁理屈がいっぱい入ったままではないか。いくら私の教えを湯のように注いでも、お前には受け取ることは出来ない」

その時にハッと天風さんは気づいたようで、それを察知して、その晩から教えを乞うことになりました。

最初の丼に入った水を全部流して、新しいお湯をいれることを「アンラーニング(学習棄却)」というそうです。

それまで学習し、積み上げてきたものを簡単に捨て去ることが、出来るかと思ってしまいますが、それを先にやらずに新しい考え方を入れても結局、生ぬるいお湯が溢れていくだけなのかも知れません。

天風さんは、当時では治せないとされいた病気だったので、そこまでの決断が出来たのでしょう。

相談する人の覚悟がどれだけのものなのかを見極める能力もカウンセラーには、必要かも知れませんね。

300字小説 第31回
=========================
『自慰』

サトルが生まれたことがきっかけとなり、今は夫のヒロシとは別室で眠るようになっている。

正美は、Mの施術を受けてから毎晩のように寝床につくと自分で慰めるようになっていた。

もともと自分でオーガズムを感じることは出来ていたのだが、絶頂時に訪れる波のようなものが、施術体験後に一気に変わってしまっていた。

家事やパートの最中でも、急に体が熱くなってきて、いてもたってもいられないような状況を体験することも頻繁にあり、それがあった夜は、押し寄せてくる波がいつも以上に大きくなるようだった。

理解できない体の変化にとまどいながらも、1日の締めくくりを自慰にすることに対しての後ろめたさのようなものは、不思議となかった。
=========================

中村天風さんは、明治9年に生まれて、昭和43年92歳で亡くなられています。

この本を読んでまず驚いたのは、僕がいつも考えたりブログなどに書いていることを本当に簡潔により理解しやすく書かれていたことでした。

以前、紹介した「体癖」の著者野口晴哉さんもそうでしたが、文章というよりもまるで隣にいて、語りかけるような文体になっていて、とても理解しやすいです。

この本は、タイトルがあって、それについて見開きの2ページでまとめていて、とてもテンポがいいし、大きさが手帳サイズなので、いつもカバンに入れて、心にひっかかるものがあれば読み返してみるのもいいなと思いました。

僕がおもしろいなと思った話をご紹介します。
=========================
悪人と善人

いつかある人が私に聞いたことがある。

「先生のところには、どんなことがあっても、機嫌の悪いという人をみたことがないが、誰もどんなことがあっても、お怒りにならんのはどういうわけですか?」と言うから、

「それはね、俺のところはみんなね、悪人ばかり多いからだよ」とこう言ったら、その人が目をまるくして、

「先生のところは悪人だらけですか!?」

「そうなんだよ」

まだ意味がわからないから、「どうゆうわけですか?」と聞くから、

「私のところじゃ、何か事が起こるだろう。そうすると、『あ、私が悪かった』とこう言う。誰でもいいから、私が悪かったってことを言って罪を背負ってしまうと、喧嘩にならない。人が一言でも、『あ、私が悪かった、そこにそれを置いたもんだから、壊れたのね』というふうに言っちまうと、これ、喧嘩にならないよ。

ところが、あなた方の家庭だと、善人ばかりだからいけねえ。

何か事があると、『私はいいんだ、私は何も悪いことはしていないんだ。あの人が悪いんだ』とこうなるから、そりゃ好きに喧嘩をやりだすものね」
=========================

自分を悪人に仕立て上げるのと、他人といさかいを起こすのとでは、どちらが軽傷で済むんでしょう。

自分の安いプライドをかけてまで、自分には非はありませんと頑張っているいる人が多いですが、そういう人を見てるととても時間を無駄にしているように思います。

そもそもプライドなんてえもんは、人に見せ付けるようなもんでなくて、自分が納得できればそれでいいもんじゃねえかと思うんだよね。

最後は、天風さん風にまとめてみました。

お勧めしたい一冊です。

300字小説 第30回
=========================
『出張ホスト』

「正美さんも一度利用すればいいですよ」

正美は、Mとのことを飯塚さんに言えずにいた。

「私が利用している出張ホストのサイトなら、きっと気にいる人が見つかると思いますよ」

「でもホストって若そうだし、話が合わないんじゃないかと思うのよね。飯塚さんは、まだ若いからいいけど、息子と同じぐらいの人もいるでしょう」

「それが逆にいいと思いますよ。非日常を楽しむんだって割り切れるしね。それに最近の若い人は、意外に話も上手だし、気まずいなって思ったことは一度もなかったですよ」

飯塚さんの自信が溢れた口調に圧倒されながらも、引き込まれるように若いホストと歩く自分を想像してみたが、正美にはどうしてもイメージできなかった。
=========================

同行二人は、ドウギョウニニンと読みます。

お遍路さんが巡礼をひとりでしている時でも、傍らに弘法大師や観音様がついていてくれるということを、確認できるように、「同行二人」と書いた笠をかぶることがあるみたいです。

本来は、お遍路や巡礼などは、日常の自分であって、弘法大師や観音様というのは、本当の自分(自己)を指すようです。

人間は、泣いたり笑ったりと感情的になる自分(自我)とそれを客観視できる本当の自分(自己)とが、二人で生きていくものなのだそうですが、現代では、自己がいなくて、自我のひとりぼっちで生きているようなもので、いつも迷子になっているようなものかも知れません。

施術を受けられる際に、お話をお聞きするのですが、その時に泣き出すかたが結構いらっしゃいます。

社会的には、立派な大人で、日常の重い責任を感じながら生活をしているわけですが、もしかすると自分のいる場所がわからなくなっている迷子と同じ気持ちなのかも知れません。

僕に胸のうちを話すことによって、もうひとりの自分の存在を確認できるようになり、母親が迎えに来てくれた時と同じような気持ちから、自然に涙が溢れてくるのではと思いました。

僕は、相談される人に対して強制的なことは言いません。

自分ならこうするだろうといった体験談のようなものは、たまに話しますが、基本的には話を聞くことに徹していると思います。

答えは、最初から彼女たちの中にあると思っているからです。

タンスの奥に答えがあるのかも知れませんが、日常生活の中で、タンスをひっくり返して調べるということが出来ないのではないかと思います。

性感マッサージという非日常だからこそ、全てを出し切って整理しなおすという作業が出来るのではないでしょうか。

性感マッサージをしなくても、カウンセリングとして話す場所を見つけることができれば、その人の悩みの8割は、その時に解消するだろうと思います。

自分は決して一人ぼっちではなくて、自己というもう一人の自分がいつも見守っていると思って欲しいです。

前田貴久という人間は、他人ですが、それはあなたが作り出した自己を投影している存在であると思っていただけるとうれしいです。

今日のタイトルは、たまたま観たYoutubeの動画で知りました。
よければご覧ください。



300字小説 第29回
==================
『確認』

「虚しくならないの」

「好きになったところで、その人と付き合ったり結婚できるわけじゃないんだから、そんな気持ちになるほうが、虚しくなるんじゃないのかな」

飯塚さんの意見は、正論だった。確かに施術をしたときは、周りが違って見えるほどの幸福感に満ち溢れていたのだが、運動会の時に学校のトイレで自分の顔を見た瞬間に夢から覚めたような気持ちになっていた。

正美は、もう一度、Mに会いたいと思っていた。会って本当のことを聞いてみたかった。

老女のように疲れた表情をする自分のことを、本気で綺麗だと思ったのかどうかを確かめてみたかったのだ。

しばらくの間、沈黙が続いたのだが、飯塚さんからビックリするような提案が出された。
==================


以前、本の紹介カテゴリでも、記事にした「救急精神病棟 野村進著」という本の中にスューサイドという言葉がありました。


スューサイドとは英語で自殺を表します。

精神病で入院した患者の中には、自殺に対して特に注意が必要な場合は、スューサイドに気をつけるようにと隠語として扱っているのかもしれません。

精神病院内での自殺は、とても多いそうですが、この本の舞台となる千葉県精神科医療センターでは、徹底した防止策とマンパワーによって、1985年の開設から18年間で3人しか出していないそうです。

昭和大学付属烏山病院では、1957年からの17年間で総入院患者数5311人中、自殺者は24人だったそうで、それと比較するとその少なさが理解できると思います。

僕が入院していた10ヶ月の間でも、退院した形跡もないのにいきなりいなくなった人が何人かいます。

他の病棟に移動したということもあるのでしょうけれど、亡くなったと教えられた人もいました。

つい2・3日前まで普通に食事をしていた人が、顔つきがガラッと変わってしまって、おむつをはくようになり、すぐに亡くなっていました。

彼の場合は、自殺ではなくて、病死になるのかも知れません。

この本の中で、自殺の章があるのですが、そこには担当する医者や看護師などがいくら頑張っても、自殺を防げない人もいるということが書かれています。

生きるのか死ぬのかの間を彷徨っている人ならば、看護することで自殺を思いとどまらせることも可能であるのかもしれませんが、死ぬことを真剣に考えている人に対しては、なす術(すべ)がないということでした。

自殺することは良くないことだという暗黙の了解があって、周りの人間は、防止するように努力をします。

自殺を推奨などすれば、すごいバッシングに合うことでしょう。

僕は、自殺に対して推奨も反対もしません。

その人の世界のエピローグは、その人が決めればいいと思うからです。

もし自殺願望のある人が、カウンセリングに来たらどうするでしょう。

まずカウンセリングに来ているという段階で、その人は、死にたくないという気持ちがあるはずです。

死にたいという気持ちと死にたくないという気持ちが、起こる理由を考えてもらうはずです。

カウンセリングを受けるような自殺志望者には、欲があると思います。

現状認識が出来ずに、例えば自分が空を飛べるはずだと思って、高層ビルから飛び降りるというようなこと以外であれば、大抵の場合、苦しい現状から逃避したいという欲が自殺を選択するはずです。

人間が行動する要因は、以下の2つに絞られるそうです。

■快楽を求めるため

■苦痛から逃れるため

快楽を追求するよりも苦痛から逃避するほうが、行動を促す要因としては大きいといいます。

自殺は、その中でも究極の選択に当たるのかもしれません。

歯が痛くなれば歯医者に行けばいいのですが、自殺したいと思うほどの苦痛を和らげるための専門的な医療施設は、存在しません。

自殺者にとっては、死の向こう側にそれが存在すると思っているのかも知れません。

僕は精神病院を退院してから、ずっと死にたいと考えていましたが、どうしてまだ生きているのかと振り返ってみると、結局、その当時の僕はなにも築きあげてきたモノがなかったからだと思います。

トランプを重ねて、お城を作っているようなもので、最初の1段・2段ぐらいの段階で手元が狂って積み上げたものが崩れても、やり直そうと思えるのですが、5段・6段と積み上げていき、あと少しで完成だと思った瞬間に全てが崩れてしまったら・・。

また最初からやり直そうと思えるほど気力は残っていないのかも知れません。

僕の場合は、まだ1段も積み上げていなかったのが、幸いしたのでしょう。

社会に出る前の学生たちが、自殺をする要因は、たぶんこれとは違っていて、どこにも逃げ場がないと判断して、最後の逃げ場が、死の世界だったのだと思います。

自殺の要因を分析して防止策を考えようと思っているわけではないのですが、死ぬことを選択できるのであれば、もっといろんなことも選択できるということに気がついて欲しいと思います。

その中で一番が「死」であればそれを選択すればいいと思いますし、後回しにしてもいいようなモノが見つかればそれから順番にやっていけばいいと思います。

今の時代は昔のように民放とNHKだけのテレビしか選べないわけではなく、有線放送などで多くのチャンネルからも選ぶことが出来ますし、ネットを介して様々なコンテンツを楽しむことが出来るのです。

もし自殺を防止しようと思っている人がこれを見ているのであれば、まずは自殺する自由を与えることから始めてはいかがでしょうか。

この日本では、毎日100人近くの人が、自らの命を絶っていますが、彼らのほとんどが自由になりたいという願望が強いような気がします。

いつでも死ねるんだと心にゆとりが出来ると、視界も広がるはずです。

興味の対象を自分以外のモノに移すことが、自殺以外の選択肢を増やすことにつながります。

自殺の是非を問うのではなく、生きていくために必要な選択肢のひとつとすることが出来れば、もっと楽しい人生が送れるような気がします。

僕は、今でもたまに自殺したらどうなるのかなって思うことがありますから・・・。


300字小説 第28回
================
『感情移入』

正美は、飯塚さんが、性感マッサージから出張ホストに変えた理由を知りたかったが、聞くまでもなく、彼女は、自慢するように喋りだした。

「結局、風俗は風俗なんで、割り切って遊ぶという感覚の方がいいなって思ったの。それなら現実では絶対に接する機会がないような綺麗で、若い男の子にしようって」

「だから余程気にいった人なら、2・3回リピートするかも知れないけど、基本は常に新しい刺激を求めたいから、ほとんど初めての人を指名します」

「一度、肌を合わせたりしたら、感情移入しないの」

「その時はするかもしれないけど、日が経つとそれよりも新しい刺激を求めたくなるかな」

Mのことが、忘れられない正美には、理解が出来なかった。
================

この世の中に「絶対」というものは、存在しないと思っているのですが、あえてひとつだけ挙げるとすれば、自分の人生は自分しか体験できないということです。

自分の世界というのは、自分が見たり聞いたり、感じたりと五感を通して得たもので構成されます。(厳密に言うと五感以外の自分では気づかないところでも感じているようですが・・。)

逆に言えば自分が体感したもの=この世の中の全て

と、いうことになります。

過疎地の村で生まれて、そこから1歩も出たことがない人にとってみれば、都会も外国も空想の世界でしかありません。

テレビや雑誌などの情報で、想像しているだけなので、京都の過疎地に住む人にとってみれば、大阪もエジプトも同じ次元のものとなります。

僕が思うには、実際に現地に行くのも雑誌の写真で見るのも、その人にとっては同じことではないかと。

もしかすると雑誌の方が、よりその場所を理解できて、楽しめるのかも知れませんし、実際に体験した事が全てという考えもおかしなもののように思います。

とにかくその人が生まれてから、今までで入手した情報が、その人の世界となるのです。

地球の裏側に行って、貧困や病気で苦しむ人々を助ける活動をしている人にとれば、それがその人の世界となるでしょうし、病弱な捨て猫を大切に育てる人は、それがその人の世界となります。

他人がどんな生き方をしようと自分の世界は変わりません。

変わるのは、自分の虚栄心や嫉妬心、使命感やボランティア精神など、感情やそれまでに刷り込まれてきた固定観念からくる生き方に対するモチベーションなのかも知れません。

カウンセリング 3つの基本の3つめは、

■世の中に自分以上のモノは存在しないと思う

ということです。

これを挙げたのは、あまりにも自分に自信がない人が多いと感じたからです。

自分の世界(=世の中)というのは、自分が体感したこと以上のものは起きません。

ということは、自分がその世界を一番知り尽くしている訳で、トップであると考えてもいいはずです。

しかし多くの人は、自分は社会の一部でしかないと錯覚し、自分の存在自体に疑問を感じながら、日々不安と隣り合わせになって、生きています。

自分が死ねば確実に目の前にある世界がなくなるはずなのに、操り人形のような生き方をしているのです。

DVDで映画を観ていることを想像してみて下さい。

もし気にいらない映画なら、停止ボタンを押して、違う映画に変えれば済むのに、その映画を最後まで我慢してみるしかないと思ってしまっているのです。

あなたの世界で一番は、間違いなくあなたです。

あなたが存在しなければ、あなたの世界が存在しません。

言葉にすると簡単なのですが、それを確信できるようになるには、さまざまな体験が必要となるかも知れません。

しかし、自分が世界の創造主だと確信することが出来れば、これまでとは違う世界が広がることを保証します。

一度しかない人生を与えられたモノで我慢するのか、自分で好きなモノを見つけて楽しむのかは、あなたの選択次第です。

年齢や環境は、まったく関係ありません。

動くか動かないか。

ただ、それだけです。


300字小説 第27回
=====================
『心の穴を埋めるもの』

性感マッサージの存在は、飯塚さんから聞いていた。

彼女は、離婚し、独りになってしばらくしてから、例えようの無い孤独を感じたそうだ。

とにかく誰でもいいから、ただ抱きしめて欲しいという気持ちを抑えることが、出来なかったと言っていた。

職場には男性がいなかった訳ではなかったが、離婚してすぐに、新しい男を作ったということを回りに知られたくなかったという。

出会い系サイトなどを何度か利用したこともあったそうだが、自分の求めているものと男性が求めているものとが、かけ離れていて、利用するたびに空虚感が広がっていったそうだ。

今は、性感マッサージではなく、自分より若くて美形の出張ホストとの出会いを楽しんでいるらしい。
=====================

↑このページのトップヘ