サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2013年06月

雨が続いて蒸し器の中の茶碗蒸しのような気分で梅田を歩いていました。

体型的には豚まんかもしれませんが・・。

昨日はそんな感じで文芸社という出版会社の企画した作家になるための講座に参加して来ました。

昔から本を書きたいと漠然と思っていたのですが、具体的にそれに向けて動いたのは初めてのことです。

こういったセミナーや講座などに参加して一番いいのは、現実を知ることが出来ることです。

講師の中園直樹さんは、いじめや自殺をテーマとした本を執筆されていて「オルゴール」という本がベストセラーになっています。

彼が教えてくれた中で一番心に残ったのは、なんのために作家になりたいのかということでした。

彼は小学校から大学生になるまでいじめられていた経験から世の中からいじめをなくして、自殺する人を救いたいという思いから様々な活動をしています。

その活動の中のひとつとして本を書いているのです。

僕が本を書きたいという気持ちには、そういった自分がやりたいという思いがまったくありませんでした。

ただ漠然と自分のことを書けば面白いのではないかとか、珍しいだろうっていう感じです。

離婚してまで性感マッサージの仕事を選んだときの自分の思いなどはどこかに消えていました。

昨日の記事ではないですが、僕は「○○したい」という思いはエゴだと思っています。だから自分の経験を生かして夫婦生活やセックスで悩んでいる人たちを救いたいという思いはありませんでした。

僕の発言や施術などによって結果的にその人の世界がその人なりに満足できる状況になればいいかなといった感じです。

講座で中園さんの熱い思いなどを聞いていると、自分にしか出来ない使命を一歩一歩クリアしていく姿も格好いいなって思いました。

作家になれば社会的地位を得られるとか、お金が稼げるとかいうよこしまな考えは、これまで僕自身が苦しんできた固定観念に縛られていた状況に再び戻っていく原因になります。

講座に参加していなければまた同じことを繰り返していただろうなって気づきました。

僕は、仕事をする上で一番大事なことはマインド(こころ)だと思っています。

自分が本当に楽しい、ワクワクするようなことでないと必ずどこかに支障をきたしてしまうと考えています。

人間以外の動植物を見ればわかりますが、地位や名誉やお金などは必要ないわけで、それに囚われて過ごすことほど本来のこころに逆行する行為はないと思います。

作家になるための講座ではありましたが、作家になることを教えてもらったのでなく、自分のメッセージを伝える手段のひとつの方法を教えていただきました。

マーケティングを勉強するとわかるのですが、資本主義社会のなかではお金になるコンテンツしか残りませんし、評価もされません。

たいていの人が間違うのは、いいものを作っていればきっといつかは花が開くときがあると思っていることです。

自分の技術や知識を充実させようと必死になってしまって、集客するための方法や売るための方法がおろそかになってしまっています。

僕も本の執筆に関しては、より綺麗な文章を書こうとかストーリーを充実させたいとか考えていましたが、まずは多くの人の目に触れるためにどうしなければいけないかということをすっかり忘れていました。

豚まん状態での参加でしたが、とても充実した1日となりました。

地走りという言葉をご存知でしょうか。

この言葉も先日から何度も紹介している「体癖」という本に書かれていて知ったのですが、ねずみが繁殖して体も2倍ぐらいに膨れ上がり、あらゆる食べ物を食い尽くしてしまって、その集団自体の存続がマックスに達したときに自ら水に飛び込んで集団自殺をすることを指すようです。

この話を知ったときにこれはねずみだけの問題ではなくてこの地球上にいる生物全てに共通する問題だと感じました。

ねずみの集団自殺はねずみが自主的に行う行動だと学者は分析するかもしれませんが、自然の摂理というか宇宙の法則というか僕の世界というか、なんでもいいのですが、各個体の問題ではなくてすべてにおいて因果関係があるはずだと思っています。

ねずみの集団自殺は、その種族の意志とは違う大きな意思が働いていたと考えるほうが納得できるのです。

捕鯨問題でくじらの存続を懸念する人たちもいますが、絶滅した生物などはこれまでも何万、何億と存在しているはずで、人類が守ろうとしているものなどは、それと比べると25メートルプールにいっぱいに張られた水と僕の晩酌のビール位の差があると思います。

と、たとえるとそれほど違いは感じられないかもしれませんね。

とにかくちっぽけなものだと言いたい訳です。

リピートしてくださる女性のなかに僕のブログのある記事を読むとイライラというかムカムカというかモヤモヤされる人がいます。

それは僕がたまに人間のエゴについて偉そうに話しているときに限られます。

悩みが起きる原因はすべて自分のエゴのせいだと僕はいつも言っていて、悩みたくなければエゴを捨てれば楽になりますと言っています。

彼女としては、エゴがあるからこそ人間としての楽しみがあるわけで、それを無くすことに同意する人に対しても綺麗ごとを言わないで欲しいという気持ちになると話してくれました。

そういう意見を聞いて、僕自身もいろいろ考えていると結局エゴを持つことが悪いのではなくて、悩みを抱える原因になるエゴが問題なんだと思いました。

いいエゴも悪いエゴもあるのではないかということです。

彼女から、エゴについて記事を書くときは最初に「エゴに注意」と書いておいてくださいと言われて、それがあれば読まずに済みますからということでした。

最終的にエゴマークを付けましょうということで、話が落ち着いたのです。

そんなこんなで「エゴマーク」から「エコマーク」を意識したときに冒頭で話した地走りと結びつきました。

地球に優しいとか地球のためにとかという発想でエコ運動があるのだと思いますが、それって人類が自分の身の程をわきまえない究極のエゴなんじゃないのかって思ったわけです。

地走りについても地球がねずみに対して起こさせたと考えてもいいと思いますし、地球にとって邪魔なものは自浄作用によって排除されるはずなのです。

以前にも書きましたが、人間は地球にとってのがん細胞みたいなものだと僕は思っています。

人間であれば癌があると聞けば慌てふためいて治療に専念するのかもしれませんが、人間以外の動物や地球などは成り行きを見守りながらやり過ごしていくはずで、もしそれが自分にとって悪い影響を及ぼすと判断すれば天災や疫病や氷河期などの自然の変化によって淘汰(排除)するのだと思います。

最後に前も紹介したアメリカのコメディアンの動画を紹介して終わります。おすすめしたい動画はニコニコ動画にありました。登録が必要なので別のをとりあえずご紹介します。




僕の母親は19歳で僕を出産しました。

それから4年後に妹を出産して、すぐに僕たち兄弟を連れて父親から逃げるように新天地に赴きました。

それから40年以上も経過したのですが、その間に彼女の人生になにが起きたのかは息子である僕にはわかりません。

ただひとつ言えることは、未だに母親として僕自身が甘えている現実があります。

50歳もそろそろという年齢になっても未だに母親に対して迷惑をかけています。

数年前までは、早く1人前になって心配をかけないようにしようと思っていたのですが、今は体に影響を与えるような心配事は別にして、なるべく迷惑をかけようと思っています。

僕が離婚することに対して母親もすごく心配してくれていました。

でも母親の心配と僕たち夫婦の離婚については、別の次元の話なので、僕としてはなるべく気を揉むようなわかれかたをしないで、孫もこれまで通り会えるようにすることが最優先でした。

彼女は若い時からの癖か習性か生まれつきの本能なのかはわかりませんが、とにかく人に対しておせっかいを焼くのが好きなようです。

焼くだけならいいのですが、自分がこれだけしてあげているのに何で相手はそれ相当のお礼がないのかということに頭を悩ませていました。

そんなことはひとつのエピソードなのですが、20代前半から女手ひとつで見知らぬ土地で子供を育てるというのは、並大抵のことではないはずで、人に対して何かをしてあげることが自分を肯定するすべであり、生きがいだったのかも知れません。

そんなことを最近思うようになってからは、僕自身が安定した生活を送って彼女の心配をなくすというのは、逆に悪影響になってしまうのではないかと考えるようになりました。

ということでこれからも心配事をカンフル剤のようにたまに送っていこうかなと思っています。

親不孝の定義はどういったものかわかりませんが、たぶん子供が思っている親不孝は親からみると親孝行になっているのかも知れません。

逆に親として子供をどう育てていくのかも子供からしたらそれって逆じゃね!的なものになるような気がします。

自分に降りかかった問題について悩むことも大切な昇華作用なのかも知れませんが、親としての責任を考えると自分に起きた問題で子供や家族までも巻き込むのは、本末転倒だと思います。

僕は離婚してしまって世間並みのおとうさんの役割を果たすことが出来ていませんが、それでも今の自分が出来る中で最高のパフォーマンスを見せることが重要だと思っています。

親として子供として、立場は違っているかもしれませんが、その時の自分を大切にして、ありのままに生きることが、一番無理のない生き方のような気がします。

親不孝を続けている限りは僕の母親も死ぬに死ねないはずです。

彼女(母親)が主人公のシナリオの中で僕の存在は大きかったはずです。

この調子で彼女が息を引き取るまで、ずっと親不孝を続けて行きたいと思います。

さっきスーパー玉出にワインと砂ずりを買いに行く途中で信号無視をしました。

5車線ほどある一方通行の道幅の広い道路で、過去最大の信号無視かもしれません。(もちろん歩行者としてですが・・。)

と大きな声で発言してしまってもいいのだろうかと調べてみると、歩行者の信号無視もれっきとした交通違反になるみたいで、2万円以下の罰金を科せられるようです。

ということで、信号無視の話は僕の空想だということで読み進めてください。

今日のテーマは、初めて施術を利用しようかどうかを迷っている方からの問い合わせが急激に増えてきて、返信を繰り返していたせいかどうかわかりませんが、赤信号を渡っているとき(空想ですが・・)にやったった感をいだいた瞬間に突然、思いつきました。

結局、利用するかしないかは赤信号を渡れるかどうかと同じなんだと理解したのです。

読まれている人の中には信号無視はれっきとした法律違反だからそうではないと思われる人もいるかもしれませんが、売春が禁止されていてもソープランドや料理旅館を装った遊郭は暗黙の了解として存在しています。

たとえ法律で禁止されていてもそれを守るかどうかは本人の自由だし、社会的に見てみぬ振りをするほうが円滑に進むことがあります。

先日、初めて60代の既婚女性からの依頼がありました。

彼女は10年に渡って既婚男性と不倫をしていたそうですが、その彼は5年ほど前に急死されたそうです。

ちょうど彼女と彼が出会ったときの年齢が、今の僕や利用されている女性のかたとほぼ同じだったので、お話を聞いていて未来からのメッセージのように感じました。

彼女のその10年間は人生にとって必要不可欠なものであったでしょうし、彼が亡くなる50代後半まで生理が順調に続いて更年期も知らないうちに過ぎていたようです。

彼女は今でも彼のことを愛していることがすごく伝わってきて、彼女の心の中には彼との関係については1点の曇りもないことを実感することが出来ました。

赤信号を渡っている人を見るだけでもいらいらする人もいます。

自動車のなかった時代に生まれていればそんなことに気を揉むこともなかったのかも知れませんが、いつの時代でも規律やルールや道徳などにしばられて生きるひとはいるのでしょう。

信号ひとつのことで眉をひそめながら生きるのとニコニコしながら生きるのはどちらが楽しいんでしょうね。

僕はこれからも「やったった感」を大切にしていきたいと思います。

余談ですが、信号無視の現行犯なら一般人でも逮捕できるそうです。

僕のときだけ許してくださいね。

人間の体の癖を分類して12種類に分けます。

それからさらに習性・周期率・許容量などの体に起きる波によって分けることが必要となり、それを「類」と呼ぶそうです。

類は48に分けられます。

この本の中では、1種から12種までの人の特性をわかり易く解説しており、僕はどうやら1種のようです。

1種の人間の特性は、上下型といわれ体の前方が重くなっています。

1種の人間の頭のなかは、「こうしよう、ああしよう」「そしたらこれこれこうして、こうしよう」と次々に考えるのですが、結論が出るとそれで満足してしまうそうです。

結局、行動に移さない。

僕が離婚した原因のひとつにやたらと奥さんの期待を裏切ったことがあります。

なかなか休みをとらずに夜遅くまで働いていて、仕事優先だったのをもっと家族優先にしないといけないと考えるのですが、なかなか行動が伴わない。

今度の土・日は連休にして土曜日に出かけて日曜日にゆっくりしよう!と約束していたにも関わらず土曜日に用事が入ると日曜日だけのお休みに簡単にしてしまう。

彼女からすると信用できない大嘘つきだということになります。

自分自身もなんで守られない約束をしてしまうんだろうと思っていたのですが、この本のなかには嘘をついているのではなくて、1種の特性として頭の中に過剰反応がおこって、それを散らばすことで満足するそうです。

だから計画はあるけれど行動しないのです。

もし実行しようとすると惰性でやっているので、決してうまくいかない。

だから計画をおこして誰かにしてもらうのがいいのですが、人がやっているのをみるとイライラしてきて、結局自分でするようです。

自分でしてもやっぱりうまくいかないけれど、理屈や批評だけは一人前に言う。

読みながら最低な奴だなと思う半面、過去の自分を振り返ってみてもその通りだと思うことがたくさんあります。

あと1種の特徴として長生きするそうです。

頭の中でいろいろ考えると頭に流れる血液の量が多くなって、首が太くなる。赤ちゃんでも首がしっかりしている方が丈夫になるわけで、体力があるということになります。

新鮮な空気の中で仕事をしているお百姓さんのなかに短命な人が多くて、頭ばかりで仕事をしている政治家の方が、不摂生をしていても長生きするというわけです。

こんな風に人間を体の重心のあり方や波によって判別し、その特性に合わせて心や体の異常を正していくというやり方を紹介しています。

悩みがなくて毎日幸せだと思って過ごしたいのは誰でも思うことではありますが、その為の方法は人によって納得できるできないというのが、あるのかも知れませんね。

また頭で納得できても体が反応しないということも。

世界を自分が作り出しているという僕の考え方は1種の人にしか理解出来ないのかもしれないのかなって少し思いました。

全ての人に理解してほしいとも思っているわけではないですが・・。


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