サロゲートパートナー

夫婦問題や性についての悩みをサロゲートパートナー(代理恋人)が解決いたします。

2013年05月

性感マッサージ師をしていることを回りには黙っているのですが、ほんの数人だけ知っている人がいます。

その中に同業の社長がいて、先日彼との話し合いで「アリとキリギリス」の話が出ました。

彼からすると目の前にいる人間が、本業とは別に性感マッサージ師をしているということが、未だに不思議に思っていることと思います。

僕自身が一番不思議に思っているので、他人がそう思うのは当たり前のことではあるのですが、その中で自分の好きなことをやって生きていきたいというようなことをもらしたところ、彼からアリとキリギリスの話が出ました。

自分はアリのようにこつこつ蓄えをしていく性格だとフォローするかのように言われたのですが、僕のことがその日ぐらしのキリギリスとダブってしまったのかも知れません。

確かになにも保証がなく、現在のところ毎月有余るような収入を得ているわけではないので、彼がそう思うのも無理はありません。

僕自身も不安に思うことがないと言えば嘘になりますが、今よりも何倍も稼いでいたころよりも心が安定しています。

その原因は、2年ほど前から考え方をガラッと変えて自分に投資をすることを最優先にしたからです。

それは今でもずっと続けています。

自分に投資をすることと合わせて自分をブランド化させるということも意識しています。

それはこの先どんな時代になろうとも無くならないものだと思っているからです。

なにかに依存して生活していると依存先にもしなにかが起きたときは、自分の力ではどうすることも出来ない連鎖が起きてしまいます。

それは僕からみるとキリギリスの生活に見えてしまいます。安定しているように見えてかなり危うい状態だと思うのです。

アリが自分達の巣に食べ物をせっせと運び込むように僕は自分の頭の中に少しずつですが、いろんなものを詰め込んでいます。

僕の中ではキリギリスではなく完全なアリだと思っています。

いつも楽しく過ごそうということが根底にありますが、寝ている最中でもいろんなことを考えています。

夢でいいアイデアが突然沸き起こらないかといつもワクワクしながら眠りについたりすることもよくあります。

24時間働いているとも言えるかもしれません。仕事というよりも自分を形成するために全力で生きているという感じかもしれません。

性風俗という外からみるといかにも危うい産業だと思われる人もいるかも知れませんが、ひとりでもその価値を感じてくれる人がいれば、それで商売としては成り立つ可能性があると思います。

どんな業界にいてもそこで使い捨てられる人と自立して別の分野でも出来る人とはやっていることが同じように見えても内面的にはまったく違うことをしていると思います。

僕の理想を言えばキリギリスのように見られながらアリの勤勉さをさとられないようなのが、いいのかなと思います。

アリとキリギリスの話は、どちらの生き方がいいのかということではなく、二つのことを同時に出来るようになれば一番いいだろうという話かも知れません。

ヤフーブログ開設1年目の記念としてプロフィール画像を入れ替えてみました。

この本は、アダムさんの考え方に賛同して協力してくれる女性200人とのセックスの中から50人の女性との体験を彼女達自身が作成したレポートをもとに構成されています。

おまけとしてラブホテルでの休憩時間の利用方法を順を追って細かく説明していたり、実際にスローセックスの考えかたとテクニックを身に付けた男性の武勇伝などがあります。

この本を読んで一番印象に残ったのは、アダムさんと3回に渡ってモニターとして協力された40歳の独身女性のレポートです。

彼女は比較的濡れやすい体質だったようですが、それが災いして男性のほうは既に彼女自身が十分に感じていると錯覚し、適当な前戯から挿入・射精というセックスを続けていらっしゃったようです。

彼女自身もクリトリスでは、絶頂体験があったものの膣内では気持ちいいどころか早く射精して終わって欲しいという感覚しかなかったようです。

アダムさんとの3回に渡るセックスでも膣内でオーガズムを迎えることは出来なかったようですが、絶頂することがセックスの目的ではないということが、十分すぎるほど理解できる内容でした。

「オーガズムはね、いい恋人ができたときに残しておいたら?」と笑って答えたアダムさんの言葉がとても理解できます。

この本では、男性のセックスに対する身勝手な考え方と知識不足、それに配慮のない言葉によって傷ついている女性が本当にたくさんいるということを証明しています。

それと同時に女性もセックスというものの本質的なことを理解していないためにそんなものだと納得していることです。

アダムさんは、前戯15分、挿入5分のセックスをジャンクセックスと言っていますが、ジャンクセックスとスローセックスとは、安売りスーパーで売っている刺身しかしらない人が、漁師さんが地元で食べている刺身を食べるようなもの以上の違いがあると思います。

僕自身が、このレポートで報告している女性の言葉と同じような内容の感想を、施術させていただいた方からお聞きしているので、決して大げさに書かれているものではないと保証します。

スローセックスを会得するには、高い講習費用を払わなければいけないし、僕のようにたくさんの女性との実践を繰り返して身に付くものだと思われているかたもいるかも知れませんが、まったくそんなことはありません。

パートナーを尊重し、慈しむ気持ちさえあれば誰にでも簡単に出来ます。

本気で愛されているということが、実感できればそれでいいからです。

テクニックについては、アダムさんの本やDVDなどがありますから、それを見よう見まねでやればいいと思います。でもテクニックはそれほど重要ではありません。

僕の提唱するタクティリスのように相手を撫でるだけでもいいですし、手をつないだり、見つめあうことで互いの気持ちを伝えあうことが十分に可能です。

この本は、「実践イラスト版 スローセックス完全マニュアル」よりもより実践に生かすことができるものだと思います。

男性の中にも奥さんから拒否されている人もいらっしゃるかも知れませんので、そんな方にこそ読んでいただきたいと思います。

今日の動画はアダムさんが講演会で、毒を吐いているものです。珍しいので是非ご覧ください。



愛について語ろうということですが、結論から言うとよくわかりません。

真理と同じようなもので、自分がそうだと思えばそれでいいのかも知れないのですが、どうして夫婦間でこれほど愛情に対してのギャップが起きているのかを少し考えてみたいと思います。

先日の不道徳教育講座を読んで以来、三島由紀夫が妙に気になりだして新恋愛講座という本を購入しました。

まだ読み出してから10ページにも満たないのですが、恋愛を語る上で3つのパターンをあげています。

恋愛というものは動物のように男と女が本能的に引き合うというものではなく、歴史・社会・環境などの制約の上でなりたっているものであるとして、ひとつの恋愛には全人類の歴史や文化などが反映しているのだと述べられています。

その上で恋愛を考えるためにギリシャの恋愛、キリスト教の恋愛、そして日本の恋愛の3つを考えることで、恋愛を語ろうとしています。

古代ギリシャにおいて男女間のかかわりは生殖行為以外のなにものでもなく、恋愛について語るとすればそれは男性が美少年に対する同性愛のことをいうそうです。

キリスト教では、肉欲そのものを排除して精神的なものに対してのみに存在価値があって、恋人だけではなく憎むべき隣人に対しても愛をもってせっするという動物的な欲望を全て捨て去ったときに初めて確立できることであると教えられています。

そのキリスト教が根底にある欧米に対して風俗利用を促した橋下さんはあまりにも無謀だったのではないでしょうか。

最後に日本の恋愛事情についてですが、もともとギリシャやキリスト教のような哲学的なものはまったくなかったというのが、著者の考えです。

万葉集を調べてみても単に感情を表現しているだけで、別れの寂しさや恋人に久しぶりに会った喜びなどといった本能的な欲求が素朴で、正直に語られています。

その後、平安時代から戦国にかけて素朴な恋愛物語は女性特有のものとなり、男性に対しては武士道というものが主流となったそうです。

そこには女性についての記述は一切ありません。男性の重んじるものは政治・軍事・道徳のみとされていったのです。

現代の日本では、その武士道が根強く反映されているせいで、夫婦関係がうまくいっていないということを言いたい訳ではありませんが、その影響がまったくないと断言できないことも事実だと思います。

しかしフェミニズムなどの影響で女性の立場をしっかりと確立させていこうという風潮の中では武士道などを訴えたところでまったく意味のないものとなることでしょう。

今、僕に依頼されている女性はほぼ同年代であり、ご主人も当然僕と同じような年齢となります。

家は女性が守るべきもので、男は外で戦うという役割がはっきりしていたような最後の年代かも知れません。

幼少時代を高度成長期に過ごしたことにより、働く父親と育児・家事に専念する母親というものが、しっかりと刷り込まれていたように思います。

役割がちゃんと決められた時代には恋愛事情もよかったという訳ではないでしょうけれど、今のようにそれほど複雑ではなかったのではないでしょうか。

女性問題で悩む奥さんのなかにも経済的に安定した生活を送らせてもらっているということで、それに対しては目をつぶって、ひとりの男性としてではなく家族愛というもので、自分を維持されている人もいます。

男女間の恋愛に限らず、なんらかの形で愛したり、愛されたりすることは人間にとって、必要不可欠なものなのかも知れません。

具体的に愛するというのはどういうことなのでしょうか。

愛すべき対象に見返りを求めないで奉仕することで喜びを感じることが、愛というものの本質的なことに近いような気がするのですが、自分以外のものに対して愛するためには、まず自分を愛することが必要なんだと思います。

相談される方によく言うのは、自分を好きになってくださいということです。

夫婦関係において、ご主人から女性として扱われなくなったことや更年期などの影響などで女性としての自分を見失ってしまっている人がいらっしゃいます。

自分の評価を自分ですることはがとても難しいために、どうしても身近にいるご主人の評価が全てであると考えてしまうのですが、お会いする女性はホントに魅力的なかたばかりです。

外見がどうだということではなく、それまで何十年も一所懸命に生きてこられたことで積み上げられた、人間的な魅力がどの方からも感じられるのです。

そんな方が目の前で枯れ枝が今にも折れそうなような状態で悩みを打ち明けられているのです。

赤ちゃんは、親と接しながら自分と他者を徐々に区別していくそうですが、その間に無条件に親から受け入れられているということを実感することで自己愛が形成されるそうです。

たしかに親に養っていてもらっていたときには、社会に出てから感じる不安などといった感情はあまり抱かなかったような気がします。

生きているだけでそれでいいと思われていることが実感できているときが、愛に満ちている瞬間なのかも知れません。

今から思えば、生きているだけでいいと実感できたのは僕が28歳のときでした。

僕は28歳のときに精神病院に強制的に入れられ、退院してから約2年間の引きこもり生活を送りました。

その時の僕は自分の存在価値がゼロになってしまったと思っていて、いつも死にたいと思っていたのです。キチガイのレッテルが貼られた人間は社会で生きていけないと思っていました。

それでも毎日食事時には仕事で忙しい合間をぬって、部屋の前に母親が食事を置いてくれていました。

とにかく食べて排泄して寝るだけの生活をずっと続けていたのです。

転機が起きたのは、その頃流行っていたNTTの伝言ダイヤルというものを知ったときでした。

今でいうSNSの原型のようなものだったのかも知れません。

自分専用のダイヤルを使ってそこにコミュニティを作り、興味のある人が伝言を残していくといったものです。

リアルな人間とは向き合うことは出来なかったのですが、受話器に向かって言葉を発することは出来ました。

そのうちに自分の作ったコミュニティにも人が集まるようになり、ぼや~っとですが自分の存在意義が少しずつ実感できるようになってきたのです。

それからしばらくして僕の様子が変わってきたことを感じたのか、母親から外で仕事をすることを進められました。

それから20年がたち、今に至ります。

自分を愛すること、好きになることがゼロの状態を経験したからこそ、人に対して好きになって欲しいと言えるのかも知れません。

仕事の合間をぬって一日もかかさず食事を用意してくれた母親の行動の原動力は、愛以外のなにものでもないと思います。

パートナーがいろんな苦境になって悩み苦しんでいるときにそういったことが出来る人がどれだけいるのでしょう。

僕は自分の奥さんが悩み苦しみ、それを必死に訴えてきていたのに、自分の都合を押し付けて無視しつづけていたんだと思います。

その結果が離婚となってしまいました。

過去にそれほど無償の愛を受けていたにも関わらず、自分が他人にすることは出来なかったのです。

今から思うとその時もやはり仕事がうまくいかず自分に対して苛立ちを感じていて、自分のことが好きでなかったせいだと思います。

今の僕は誰かに無償の愛を提供しているなどということは、まったく思っていません。

とにかく自分を好きになって、自分が楽しめることだけを追求していきたいと考えています。

自己中だと言われればそうなるのかも知れませんが、自分を愛することが普通に出来るようになるとそのエネルギーは同じような周波数を持つ人たちに自然に伝わっていくのです。

同じエネルギーは共鳴することとなり、さらに増幅されていきます。

奥さんがご主人の愛を確認したいという欲求が起きる原因は、自己愛が不足しているせいではないでしょうか。

不足させる原因を作っている原因の一端はご主人の言動によることも大きいのですが・・。

気づいていただきたいのは、ご主人からの愛情を受けることが大事ではなく、自分が自分を愛するために必要なことの中にご主人からの愛情も利用できるというぐらいのスタンスでいることが、楽に生きるための方法だということです。

僕は常に自分の世界の創造主は自分であると言っていますが、自分を愛で満たすことが出来れば周りの世界全てが愛で満たされることになります。

愛を説明することは出来ませんが、愛を与えたり求めたりしたいのであれば、まず自分の中にある愛を入れる袋が満タンなのかどうかを確認することから始めるべきだと思います。

まだ入れる余裕があるのであれば、スポーツや趣味、自治体活動、PTA活動、浮気、風俗、なんでもいいから活用してみるといいと思います。

あなたの世界はパートナーが全てではないはずし、パートナーもあなたが創造しているからです。

追記

今回、愛について考えてみようと思ったきっかけとなったメールのやり取りを久しぶりにアメブロに投稿しました。お会いしたこともない方からのメールでしたが、僕の中にたくさんの気づきを与えていただきました。


大手Q&AサイトのOKWAVEというところにたまに回答者として質問に答えています。

これまで恋愛に関する質問に答えていましたが、今は夫婦問題について悩んでいる方からの質問が朝の4時20分ぐらいにメールで送られてきて、その中から興味の湧いた質問があれば答えるようにしています。

今日も答えてきました。

奥さんの浮気を見つけてそれに対する自分の対応は正しいのかどうかという質問です。

自分が過去に起こした行動の正否を問う質問は結構多いです。

そんなことを聞いてなにかの得になるのかなって思うのですが、この質問者さんにはなんとなく好感が持てたので回答しました。

ひとつの質問に対して回答者が何人かいて、その中で質問者が一番ためになったという回答にベストアンサーというのをつけるシステムです。

僕は現在回答したうちの43%がベストアンサーということになっているみたいなのですが、これを70%ぐらいにしたいなと少し前に思っていました。

それからいろいろ考えて、自分の意見は曲げずに質問者さんも納得できるような文章にするにはどうしたらいいのかなと考えていたのですが、結局止めることにしました。

ベストアンサー率を上げるよりも自分の考えを率直に伝えるほうが楽しいなということに今更ですが、気づいたからです。

今日の回答は、他の方の回答と比べていただけるとわかりますが、常識的な考えとはまったく逆のことを言っているようです。

でも僕がもし同じ境遇になったとしたら、そういう風に振舞いたいと思うことを正直に書きました。

僕はそれを前田節と呼ぶことにします。

ベストアンサーがもし1%になったとしても100人のうち1人が指示してくれているわけですから、それで満足できると思います。

仮にゼロになっても自分自身が指示している限り大丈夫だと思います。

そんな風に自分が味方になっていれば大丈夫だと思えるようになったのは幼少期の体験からかも知れません。

僕は物心ついたときには母親だけでした。

それがどうだということではないのですが、小学校の同じクラスに父親だけの女の子がいました。

彼女は、いつも同じ服を着ていたせいかクラスメイトから馬鹿にされていました。

今でいういじめだったと思いますが、僕はそれを止めてあげるという勇気はなく、自分も片親だということで馬鹿にされたくないということで精一杯だったような気がします。

そのせいか何か問題が起きても人に相談することがありませんでした。

相談しなかったというよりも出来なかったというのが本当のところです。

弱みを人に見せられなかったのだと思います。

それが自然と自分に植えつけられて大人になってからも全て自分で処理する癖がついてしまったようです。

僕からすると不特定多数の人たちに自分の悩みを相談する人をみるとなんて勇気のある人なんだろうって思ってしまいます。それと同時になんて無防備な人なんだろって思います。

彼ら(彼女ら)は、質問する時点ですでに自分の中で答えは出ていて、それに賛同してくれる人を探しているのかも知れません。

そういう人たちには前田節は通用しませんね。

とりあえずQ&Aサイトのみならず実際にお会いした人たちに対しても変わらず前田節を披露していくことと思います。

もし施術を検討されているかたで純粋にマッサージだけを希望されるときは、前田節NGと予約の際に付け加えていただければと思います。

あと30年ぐらいすると口やかましい爺さんになってるのかも知れませんね。

余談ですが、今日のブログのカテゴリをデザインにしました。

自分の人生をデザインするのは自分以外にありえないということで選びました。

更年期になると女性ホルモンの影響で体調に変化が起きることがありますが、性感マッサージを受けることでホルモンを投与する以上の改善がみられる人もいらっしゃいます。

よく聞くのが、生理がちゃんと定期的にくるようになったということです。

体調の改善などの他に多いのが、綺麗になったとか女性っぽくなったとかキラキラしているなどと言われたという報告をかなりの人からメールでいただいています。

具体的には男性から声をかけられたり、職場の人から結婚しようと言われたりとかエピソードを聞いていると思わずホントかなと笑ってしまうようなこともあります。

駅のホームで紳士的な男性から素敵な女性ですねと一言だけ言われたというのもありました。

一番驚いたのはバストが成長してきている人がいらっしゃることです。

その方は40代後半の女性ですが、初めてお会いしたときから比べてはっきりと変化がみられます。

月2回ぐらいのペースで3ヶ月ぐらい経ったころにあきらかに膨らみがましていたので、一瞬妊娠でもされているのかなと思ったほどです。

最近は2ヶ月ほど施術から離れていますが、今日のメールでも順調に育ってますということを報告していただきました。

施術を受けることによる刺激も関係するのかもしれませんが、それ以上に女性として自分を思えるという気持ちが心や体にいい影響を与えているのだと思います。

いろんなモヤモヤを抱えながら毎日を過ごしていらっしゃるかたは、とにかくなにかにトキメキを持つということをして欲しいと思います。

女性として自分自身を好きになることが、綺麗を引き寄せるはずですから。

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