最近、影響力の武器という本を読み返しています。

マーケティングの勉強をしている人なら誰でも知っているといってもいい名著です。

サブタイトルは、「なぜ、人は動かされるのか」です。

人が行動を起こす動機やその手法などについて、詳しくかかれている本なのですが、その中に社会的証明の原理といったものがあります。

社会的証明というのを簡単に説明すると、人は流されやすいということです。

周りの人がやっているから自分もやってみようとか、なんとなく多数のほうが正しいと思ってしまうこともその一例です。

昨日の記事「極楽」では、法的な審査や当事者間での話し合いは終わっても、大手メディアに出るためには社会的に許しを乞わないと出演できないということのジレンマを書きました。

もしかすると出演者や番組制作者全員が感じていたものなのかも知れません。

世の中にはモンスタークレーマーという人たちがいます。

ただ、その人たちはモンスターなので、わざわざ顔色を伺うことも無いはずなのですが、声が大きなものが勝ってしまうようなこともあり、全ての人から文句が言われないようになるべく穏便に物事を解決しようとする風潮があります。

民主主義の基本が多数決なので、そういった風潮になるのは当たり前なのかも知れませんが、実態の無いものに操られているような気がしてとても気持ちが悪いのです。

僕自身は、子供の頃から人と反対のことをすることに快感を覚える性格だったので、自分に関係の無い事件を起こした人に対して、大勢で正義感を振りかざし、裁きを加えることが正しいといった風潮に余計に違和感を感じるのかも知れません。

観ていて気分が悪ければ観なければいいし、自分が受け入れられないことであれば、それに関わらなければいいだけだと思うのです。

また犯罪だけでなく、どんな業界でも社会的な風潮によって、現場の仕事がやりづらくなることがたくさんあるはずです。

それまで当たり前だったことが、突然出来なくなってしまうことなど日常茶飯事ではないでしょうか。

それが本当に人間にとっていい選択なのかといった議論よりも、問題を起こす原因を取り除こうとする風潮があります。

たぶんそれは手術と同じで、悪い患部を切除してしまえばいいという考え方なのでしょう。

2日続けて難解で、内容の無い記事を書いてしまいました。

ここまで書いてみて、よくよく考えてみると僕自身が、ネットの情報などに反応し、その風潮に流されているのだということが判りました。

自分だけは違うと思っていることが、既に間違いなのかも知れませんね。