当たり前の話ですが、生まれたての赤ちゃんには罪悪感などありません。
ママのおっぱいを飲みながら反対の乳首を自分の手で触って、他の人にとられないようにするのは、食料を確保するという生存本能からです。
少し大きくなって仲のいい保育園仲間とおもちゃで遊んでいるときに取り合いになってしまうのも、自分が楽しみたいという気持ちに素直になっているだけです。
そんな本能むき出しの喧嘩を見て、親や保育士さんが、一緒に仲良く遊ぼうねとか○○ちゃんにも貸してあげないとだめでしょ~などと繰り返し言われることによって、その繰り返しが自分にとって不愉快になるために、自然と仲良く分け与えるという知恵がつきます。
本来の自分は貸したくないのに、強制的に洗脳されているようなものです。
こういった様々な洗脳が行われ、それが刷り込みや固定観念、倫理観などといったものと言われる様になり、それに即した生き方が、人間として正しい姿であると思い込むのです。
そしてその正しいと勘違いしていることに反する行為をしたときに罪悪感が生まれます。
罪悪感なんてこの世から消えてしまえばいいのに・・・。
今日のブログは、投げやり風にまとめてみました。
300字小説 第54回
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『陽』
「女性に強い関心があるんですね」
「中学に上がる前に父親が他界して、それ以来女性ばかりの環境で育ったせいかも知れません」
「そうなんですか。じゃあお母さんは、苦労されたんですね」
「そうだったと思いますが、僕たちにはそんな素振りはまったく見せたことがなかったですね。そういう強い母親という存在が、如来や観音などとリンクしているのかも知れません」
初めて会ったばかりの相手に、辛い過去を淡々と話すアゲハの顔には時折笑顔が混じっている。
息子のマサルやチッチが時々見せる若者特有のネガティブな表情を一瞬も浮かべることはなかった。
悲しい過去の影響はまったく無いのかも知れない。
母親の育て方がとてもよかったのだろうか。
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